人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小野十三郎「フォークにスパゲッティをからませるとき」(詩集『いま いるところ』昭和64年=1989年刊より)

[ 小野十三郎(1903-1996)近影 ]

(82歳(1985年))
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(51歳(1954年))
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(23歳(1926年))
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詩集『いま いるところ』

浮遊社・昭和64年(1989年)7月7日刊
小野十三郎著作集』全三巻・筑摩書房(平成2年=1990年)9月・12月・平成3年=1991年2月刊)
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小野十三郎著作集』第二巻(平成2年=1990年12月)所収
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フォークにスパゲッティをからませるとき

小野十三郎


時間がたつのがおそい。
言葉が先に進む。
そこで時間が来るのを待つ。
また、詩を書いている。
やってきた友は
病気は治らないなと云う。
治そうとは、おれは思わない。
病気だから書ける。
健全な詩を書いている人はたくさんいる。
その仲間入りをしようとは思わない。
第一、健全な詩はない。
みな、病気である。
持っているものは、なにだろう。
たぶん、それはあなたにも関係がある。
うまい朝食を食っておれはいま帰ってきた。
今日はスパゲッティだった。
あなたもどこかで
いま、うまい朝食を食っているだろう。
フォークにスパゲッティをからませる感覚が
おれは好きだ。


 93歳の長老をまっとうした大阪生まれの詩人・小野十三郎(1903-1996)晩年の第21詩集『いま いるところ』(1989年7月刊)より。前詩集『カヌーの速度で』'88(昭和63年7月刊)と本詩集の間、'88年12月に、小野十三郎昭和6年に結婚し60年あまりを供にした夫人を亡くし、寡夫となりました。夫妻には6人の子息子女がおりましたが、すでに成人して家庭を築いていたので、夫人の逝去後に小野十三郎は老齢の一人暮らしを始めることになります。夫人は亡くなる4年前から言語と歩行に支障を来し、晩年1年は夫の十三郎が介護をやむなくされたので、『いま いるところ』は夫人の逝去前後半年を中心にした80代半ばの小野自身の一年間の生活の変化と、その一年間に相次いだ小野と同世代の50年来の友人たちの逝去を追悼する回想と哀悼の詩を中心に編まれています。

 この時期に亡くなった同年輩の詩友、草野心平(1903-1988)、秋山清(1904-1988)、藤沢桓夫(1904-1989)らは小野がまだ20代のプロレタリア詩人だった頃からの、半世紀あまりの交友になる旧友でした。『いま いるところ』の跋文は詩集刊行の前月(1988年6月)に逝去した藤沢桓夫の遺稿になったものです。長生きも寂しいもので、小野は晩年まで後輩の詩人たちからの敬愛を受け続けていましたが、同年輩で20代からの詩友だった天野忠(1909-1993)、永瀬清子(1906-2005)、田木繁(1907-1995)らは小野より先に亡くなり、同年輩の旧友では伊藤信吉(1906-2002、三好達治とともに萩原朔太郎の秘書を勤めていたとんでもない長老詩人)だけが小野の最晩年までを看取ることになりました。

 小野が数年来の禁煙を止めて気ままに夜間外出を始めたのも夫人逝去後で、相次ぐ旧友たちの逝去もあり、おそらく開放感と晩年意識が一気に詩人に訪れたのでしょう。この間の詩作への切迫力と創作力の高まりは前詩集から1年の間に60編もの新作からなる詩集を上梓したことにも表れています。小野十三郎の単行詩集は1926年10月刊の第1詩集『半分開いた窓』から、既刊21冊の詩集に詩集未収録詩編を多数集成した全3巻の全集『小野十三郎著作集』1990-1991のあと生前最後に編まれた1992年7月刊の第22詩集『冥王星で』(伊藤信吉が跋文を寄せています)まで68年に及びますが、正味1年間に集中して書かれた詩作からなる詩集は『いま いるところ』が唯一です。

 全集刊行完結後の1992年から老齢の小野は要介護者になり、90歳を迎えた翌1993年からは寝たきりで年1度車椅子で外出できる程度になり、1995年1月の阪神大震災では難を逃れましたが、翌1996年10月に老衰で逝去しました(享年93歳)。90代にはさすがに詩作も途絶えましたが、夫人逝去後から数年、80代後半の詩人は毎朝の散歩がてら喫茶店で朝食をとるのを楽しんでいた様子が詩集中数編の詩にうかがえ、この「フォークにスパゲッティをからませるとき」は二十歳の時から67年あまり詩を書いてきた老詩人だからこそ重みのある円熟した詩でもあれば、詩人86歳の作とは思えないくらい、月曜の朝にふさわしいみずみずしい詩です。やはり朝の喫茶店に材をとった次の詩も鮮やかな一編です。

レモンのすっぱさ

小野十三郎


夜が明けて
七時半過ぎに
近くの喫茶店に行く道。
おれは、その時
雑念から解放された気分になる。
言葉はいつも、おれについて廻っているが
いままでになかった
言葉と言葉の関係を
ふいに見つけられそうな気がする。
茶店では
おれはいつも最後に
トマトジュースを飲むが
レモンのすっぱさから
おれの一日がはじまるのである。
道はかぎりなく遠い。
そこを歩いているのはおれひとりだ。
世界の果てである。
果てには道がないが
おれの歩いている時間には
それがある。

(詩集『いま いるところ』1989年7月刊より)

(大幅に改稿し再録しました)