人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

マイルス・デイヴィス Miles Davis - カインド・オブ・ブルー Kind Of Blue (Columbia, 1959)

マイルス・デイヴィス - カインド・オブ・ブルー (Columbia, 1959)

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マイルス・デイヴィス Miles Davis - カインド・オブ・ブルー Kind Of Blue (Columbia, 1959) Full Album : https://youtu.be/j9QXpfvgSVk
Recorded at Columbia's 30th Street Studio in New York City, March 2 (Side A) and April 22, 1959 (Side B)
Released by Columbia Records LP SC 8163, August 17, 1959.
Produced by Teo Macero
All Titles Composed By Miles Davis

(Side 1)

A1. So What - 9:22
A2. Freddie Freeloader - 9:43
A3. Blue In Green - 5:32

(Side 2)

B1. All Blues - 11:33
B2. Flamenco Sketches - 9:22

[ Miles Davis Sextet ]

Miles Davis - trumpet (band leader)
Julian "Cannonball" Adderley - alto saxophone, except on "Blue in Green"
John Coltrane - tenor saxophone
Bill Evans - piano (except "Freddie Freeloader"), liner notes
Wynton Kelly - piano on "Freddie Freeloader"
Paul Chambers - bass
Jimmy Cobb - drums

(Original Columbia "Kind Of Blue" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 これは天下の名盤、アメリカ20世紀ポピュラー音楽の記念碑で、あらゆるジャンルのミュージシャンやリスナーでも素通りできない金字塔になっているアルバムです。ジャズからそういうアルバムは他にありません。つまり『カインド・オブ・ブルー』というアルバムを簡単に紹介するとそうなります。言わずもがなの大傑作、ロックならビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』1967に匹敵するジャズ部門1位は本作になるでしょう。ソウル部門1位ならマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン』1971になるように、これは別格的アルバムでもあります。『サージェント・ペパーズ』が必ずしも典型的なロックのアルバムではないように、『カインド・オブ・ブルー』も典型的なモダン・ジャズではありません。ビートルズなら一連の初期シングル、マイルスならプレスティッジ時代のクインテット四部作などは最上のジャンル作品ですし、『ホワッツ・ゴーイン・オン』よりもオーティス・レディングアレサ・フランクリンの'60年代アトランティック作品こそが典型的なソウル・スタイルです。マーヴィン自身も『悲しいうわさ』1968前後が、サム・クックを起源にしてさらに洗練されたスタイルを完成させています。『カインド・オブ・ブルー』や『サージェント・ペパーズ』、『ホワッツ・ゴーイン・オン』は各ジャンルの最大の傑作ですが、それぞれのアーティストの楽歴でも突出していますし、各ジャンルの標準的な作風からはまったく隔たった作品です。なので『カインド・オブ・ブルー』に入れこんでもジャズ一般がわかったことにはなりません。『サージェント・ペパーズ』を聴けばロックが、『ホワッツ・ゴーイン・オン』ならソウルがわかるというには、これらは突出した作品に過ぎるのです。にもかかわらず、これらはおそらく投票を取れば間違いなくジャズ、ロック、ソウルのNo.1アルバムとなりますし、比類ない完成度を誇ります。その後のシーンへの影響力も絶大ですが、部分的な影響、手法の応用はできても作品自体の巨大なスケール感では模倣を許しません。その点でもこれらは本質的な意味でのフォロワーは生み出さなかったし、生まれようがなかった作品です。

 では傑作ならば名曲満載のアルバムなのかというと、実はそうでもないところもこの3枚には共通します。アルバムを通して統一感があり、優れた演奏とサウンド・プロダクションが聴けるとは言えますが、収録曲の名曲性によって傑作アルバムになっているとは言えないのです。3枚とも最低3曲はスタンダード・ナンバーを生んだと言えますが、名曲によって支えられているというよりも、1枚のアルバムに統一されたムードで曲が配置されていると見るべきでしょう。それはマイルス、マーヴィン、ビートルズの最高の名曲がこのアルバムに収録されている、とはならないことでもあります。もっともマイルス・デイヴィスは、これが楽歴初の全曲マイルス自身のオリジナルを標榜したアルバムになりまた。次に全曲マイルスのオリジナルによるアルバムはといえば『ビッチズ・ブリュー』1969になり、マイルスの楽歴は『カインド・オブ・ブルー』と『ビッチズ・ブリュー』を里程標にして大きく3期に分けることもできます。マイルス自身が『カインド・オブ・ブルー』では全曲自身のオリジナル名義に固執したと、収録曲「ブルー・イン・グリーン」の事実上の共作者だったビル・エヴァンスが証言しています。マイルスはコード2つと音階だけを指定してエヴァンスに宿題を出し、エヴァンスは指定された音階と2コードだけで曲を作ってきました。エヴァンスはリリースされたアルバムに共作のクレジットがなかったので愕然・落胆したそうですが、昔のジャズのバンドリーダーはメンバーや仲間の書いた曲を自作オリジナルとするのは割とよくあり、マイルスにも多数の前科がありました。エヴァンスは自分のアルバムでこの曲をマイルスとの共作名義のクレジットでカヴァーし、生涯代表曲の一つとして演奏し続けることになります。ちなみに本作は1990年代にリマスターCDが出るまでアマチュア・プレイヤーを悩ませたアルバムでした。聴いて採譜はできるのですが、レコードに合わせて練習しようとすると微分音程でピッチが高いのです。このアルバムの収録曲のライヴ・ヴァージョンが収められているマイルスのライヴ盤では標準的なピッチなので長年マスタリングのミスが疑われていましたが、リマスターCDによってLP時代や旧規格CDではマスタリング時にピッチが高めにマスター・テープが作成されていたのが判明しました。LP(本作の初発売時の邦題は『トランペット・ブルー』でした)や旧規格CDでは本作の収録曲は3秒~5秒前後短いのです。またテオ・マセロがプロデュースしたコロンビアのジャズのアルバムは、チャールズ・ミンガスの『ミンガス・アー・ウム』『ダイナスティー(旧邦題『ミンガス帝国』)』、'60年代のマイルスとセロニアス・モンクの諸作を筆頭にLP時代、旧規格CDでは大幅に短縮編集されており、ピッチのミスまでは本作くらいですが、ノーカット版に復原された現行CDとはかなり印象が異なるのも注意が必要です。

 このアルバムからあまり演奏されないのは「フラメンコ・スケッチズ」くらいで、楽想が「ブルー・イン・グリーン」に似ているのと、テーマが明確ではあるものの、あまりにマイルスのアドリブ・フレーズそのものをテーマにしているために他のジャズマンが取り上げづらいからでしょう。このアルバムの「フラメンコ・スケッチズ」はマイルス作品として完成していて、楽曲単位としては、『カインド・オブ・ブルー』全曲カヴァーでもない限り取り上げるのが難しいということです。アルバム中もっとも演奏例が多いのは巻頭曲「ソー・ホワット」で、マイルス自身のライヴ・テイクによるセルフ・カヴァーを含め膨大なカヴァーがあります。この曲に、マイルスが前作『マイルストーンズ』1958タイトル曲で成果を上げ、本作で全面的に取り入れたモード(音階)手法が、ベースとホーンの応答リフ、全音移調による2コードという構成によって明快に表現されているからです。「ブルー・イン・グリーン」はバラード、「フレディ・フリーローダー」「オール・ブルース」はブルース(前者はABC24小節ブルース、後者はAA'24小節変形ブルース)で、いずれもモード手法に基づく演奏ですが、必ずモードで演奏しなくては成り立たない曲ではありません。アルバム中唯一ファンキーな「フレディ~」は当時のメンバーのウィントン・ケリーにピアノを弾かせ、他の収録曲では前年の1958年2月~10月の9か月間だけ在籍したケリーの前任者のビル・エヴァンス(よく勘違いされますが、エヴァンスはマイルスのバンド在籍時には散々酷評を受け、本作録音時はすでに脱退していたのです)をアルバム録音だけのために呼び戻しています。ブルース曲はエオリアン・モードで演奏されています。エオリアン・モードとは、固定ド(移動ドではなく)でソラシドレミファソと並ぶ音階で、これは移動ドでしたらシの♭を含む長調の音階ですからブルーノート・スケールに馴染みやすく、さらに自由度は高くなるのでモード手法でなくても演奏はできます。「ソー・ホワット」は徹底してドリアン・モードによるモード手法をアイディアの根幹に据えており、直接間接問わずポピュラー音楽の世界に浸透していくことになります。ジョン・コルトレーンが1961年の「インプレッションズ」に改作し、ザ・バーズが1966年の「霧の8マイル」でコルトレーン経由で影響を受けたギターリフとソロを披露したあたりで、ロック=ポップス界にはモード手法の導入が目立ち始めます。サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア」のメロディーはドリアン・モードですし、クリームの2コード・ブルース解釈(「アイム・ソー・グラッド」ライヴ・ヴァージョン)でもドリアン・モードが現れます。オールマン・ブラザース・バンドは「ドリームス」「エリザベス・リードの追想」で直接『カインド・オブ・ブルー』からドリアン・モードを取り入れ、また本作がブリティッシュ・ロックのミュージシャンには聖典扱いされていたのもクリームのみならずコロシアム、ブライアン・オーガー&トリニティなどのアルバムからわかります。

 この「ソー・ホワット」はAA'BA'32小節の単純な小唄形式で、Dm→E♭の半音移調で同型のリフが繰り返されますが、ドミナント・モーションが発生しないのでDmがトニックですが実質的なコード進行は存在しません。モード手法は従来のコード進行や代理コード進行に即応する速やかな転調によるアドリブではなく、「ソー・ホワット」でいえばドリアン・モード、『オール・ブルース』はエオリアン・モードが使用されています。エオリアン・モードは前述しましたが、ドリアン・モードは固定ドでレミファソラシドレ、という音階になり、移動ドならファに♯がつきます。これは特に教会音楽音階=チャーチ・モードと呼ばれ、第3音と第4音の音程が半音になるため音階としては短調になりますが、コード進行において導音となるべき重要な第6音と第7音が半音ではなく全音開いているために(これはブルーノート・スケールでも同様ですが)、西洋近代音楽の主音コード→下属音コード→属音コード→主音コード、という基本的和声進行に馴れた聴覚には短調とはいえとりとめのない音の羅列に聴こえかねない音階です。オクターヴ7音階(ダイアトニック)を基本としただけでもモードには7種類ありますが、コード進行を導き出さない音使い、本来半音音程であるべき音階が出てこないだけでも、モード手法はオクターヴ12半音という西洋音楽が近代に確立したルールでは「悪魔の音階」と呼ばれているホールトーン・スケール(全音階)に近いものになります。12半音階ではホールトーン・スケールは二種類しかありません。基音から全音ずつ上昇・下降していくのと、基音そのものを半音ずらして全音ずつ上昇・下降していくものの二種類だけです。一応分かりやすくするために基音(トニック)としましたが、ホールトーン・スケールはオクターヴに2か所は生じなければならない半音階を欠いているため、事実上主音も下属音も属音も聴覚上は聴きとることができなくなります。というよりホールトーン・スケールは完全な無調音楽を生み出してしまうので、倍音を基準とした自然発生的な音楽はもちろん理論化された音楽からも通常は生まれてきません。「ソー・ホワット」でもAA'BA'で、AA'は固定ドの場合レから始まるホールトーンのニュアンスを持ったドリアン・モードであり、Bはそれを半音ずらしたもの、とたいへん明確かつ合理的に出来ています。これだけシンプルな構造しかなく、しかもスケール(音階)自体はムードの統一のために制約されているとなっては、最大の自由が最大の難関をなすことになります。よほどの経験と方法意識、センスがないとただの音階練習みたいな演奏になってしまうのです。また、AA'BA'・AA'BA'の連続のため自分が演奏しているのはどこのAだ、と滅茶苦茶になる場合もアマチュアジャムセッションでは珍しくありません。ジャムセッションでとちるような人は「ソー・ホワット」に限らずたいがいは演奏する曲、ジャズそのものを舐めてかかっている場合が多いのです。「ソー・ホワット」はシンプルきわまりない曲ですから楽器さえ出来れば誰でもできそうに思わせられますが、実際はとてもそんな簡単なものではありません。

 この『カインド・オブ・ブルー』についてはアルバムの成立から反響・分析までを詳述した研究書やDVDが何種類もあります。語り尽くされた観もあるアルバムですが、真の巨匠の大傑作の真価とは最初に聴くとあまりよくわからなかったりするものです。一聴してあまり腑に落ちなくても、折りに触れ何となくにでも聴いているうちに、たとえばピンク・フロイド『狂気』のように音の流れを楽しむアルバムとわかってきます。ジャンルを越えた力とはそういうものですが、本作やモンク、ミンガス、コルトレーンの代表作だけ聴いてジャズを判断するのは日本語圏以外の外国人読者が『それから』『斜陽』『金閣寺』だけ読んで日本文学を知った気になるようなものでしょう。またこの一文をまとめている最中(予約投稿なので5月26日)、長らく本作参加メンバー唯一の現存者だったジミー・コブの訃報(1929年1月20日生~2020年5月24日没、享年91歳)が報じられました。ジャズとのつきあいが長い人には語るまでもない本作を一応採り上げたのはビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』同様、いわば仁義のようなものです。

(旧稿を改題・手直ししました)