人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西脇順三郎連作長編詩「体裁のいい風景」(大正15年=1926年作)

西脇順三郎(明治17年=1894年生~昭和57年=1982年没)
f:id:hawkrose:20200704211634j:plain
 西脇順三郎(明治17年=1894年生~昭和57年=1982年没)が初めて日本語詩に着手したのは應義塾大学英文学科教授に就任した大正15年(1926年)4月以降のことで、大正15年7月の「三田文学」に4篇同時掲載された詩篇「世界開闢説」「内面的に深き日記」「林檎と蛇」「風のバラ」であり、西脇はすでに32歳になっていました。これらは日本語の処女詩集「Ambarvalia」(椎の木社・昭和8年=1933年9月刊、40歳)に収録されましたが。同詩集に収録洩れとなった大正15年~昭和2年(1928年)の詩篇は戦後ようやく刊行された第2詩集の長篇連作詩『旅人かえらず』と処女詩集の改作『あむばるわりあ』(同時刊行、東京出版・昭和22年=1947年8月刊、54歳)に続く詩集「近代の寓話」(創元社・昭和28年=1953年10月刊、60歳)の巻末の拾遺編に収録されました。この『近代の寓話』巻末に拾遺として収められた「修辞学」(昭和2年5月「三田文学」)、「自然詩人ドルペンの悲しみ」(昭和2年7月「三田文学」)、「体裁のいい景色」(大正15年11月「三田文学」)、「ESTETIRQUE FORMAINE」(昭和2年5月「三田文学」)はいずれも詩人生前の定本全詩集からは外されるとともに、西脇の意を汲んで没後の全詩集でも外されることになります。第一詩集『Ambarvaria』は詩集刊行直前に一気に書かれた作品が多く含みますが、大正15年~昭和5年の作品からも散文詩『馥郁タル火夫』、長詩「悲歌」、長編劇詩「紙芝居Shylockiade」、連作長篇詩「失楽園」などの名篇が収録されています。確かに「体裁のいい景色」や「自然詩人ドルペンの悲しみ」ら拾遺詩篇4篇は『Ambarvaria』収録作品からは一段落ちる出来映えなのですが、西脇順三郎は詩人には珍しく生前未発表・詩集未収録作品がほとんどない人でした。

 西脇順三郎の登場前の現代詩史をおおまかにまとめると、源流は高村光太郎の『道程』(大正3年=1914年)と萩原朔太郎の『月に吠える』(大正6年=1917年)に置かれます。金子光晴の『こがね虫』(大正12年=1923年)や宮澤賢治の『春と修羅』(大正13年1924年)も高村・萩原の系譜に生まれてきた詩集です。一方突然変異的な詩集として山村暮鳥の『聖三稜玻璃』(大正4年=1915年)、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』(大正12年)があり、大正時代の総合と昭和詩への展開を目指して萩原恭次郎の『死刑宣告』(大正14年=1925年)、吉田一穂の『海の聖母』(大正15年=1926年)、草野心平の『第百階級』(昭和3年=1928年)、三好達治の『測量船』(昭和5年=1930年)が刊行されています。これがだいたい治安維持法時代前(ファシズム時代以前)の現代詩の見取り図と言えるでしょう。その中にあって、西脇順三郎はまるで異邦人のように登場しました。従来の日本の詩の概念では詩ですらないような詩でデビューしたのです。西脇順三郎の日本語による詩作発表は大正15年から始まり、すでに32歳の西脇は以前からそれらの詩を英語詩・フランス語詩で書いていたので、大正15年~翌昭和2年(1927年)の諸作はどれも日本語詩による処女作と言って良いものでした。西脇は意図して外国語の直訳的文体を用い、さらに誇張した表現を採っています。「秋という術語を用いる季節が来ると」「一個の青年が」などこの時期の詩では全編にわたって用いられているこの文体は、日本の詩では従来禁じ手だった発想で、手法としてはパロディに当たります。また内容も従来の詩では抒情的に扱われていた題材をヨーロッパ的設定によって卑近に滑稽化しています。このふざけた発想はダダイズム的な反知性、アナーキズム的な反体制とも異なるものでした。西脇の詩集『Ambarvalia』は西脇が師と仰ぐ萩原朔太郎から斬新さ、詩質の高さを評価されながらもディレッタント(趣味人)、「感覚脱落症」と批判もされ、それに応えて西脇は自作を正統的な萩原の発展であると自負していました。大正15年(1926年)11月の「三田文学」に全34章が一挙発表された連作長編詩「体裁のいい景色(人間時代の遺留品)」は冗長さ・完成度の低さから詩集『Ambarvalia』には収録されなかったと思われる試作的なものですが、この連作長編詩の真価はまさにその試作性にあり、戦後の詩集『近代の寓話』にかろうじて拾われるだけの価値はあったのです。またこれほどに諧謔のみに徹した詩から西脇順三郎が出発したのにはそれだけでも大きな意義があったと言えるでしょう。これは西脇順三郎以外には誰にも書けなかった詩であることも確かです。

「体裁のいい景色」

(人間時代の遺留品)

 西脇順三郎

 (1)

やっぱり脳髄は淋しい
実に進歩しない物品である

 (2)

湖畔になるべく簡単な時計を据付けてから
おれはおれのパナマ帽子の下で
盛んに饒舌ってみても
割合に面白くない

 (3)

郵便集配人がひとり公園を通過する
いずこへ行くのか
何等の反響もない

 (4)

青いマンゴウの果実が冷静な空気を破り
ねむたき鉛筆を脅迫する
赤道地方は大体においてテキパキしていない

 (5)

快活なる杉の樹は
どうにも手がつけられん
実にむずかしい

 (6)

鈴蘭の如き一名の愛妻を膝にして
メートルグラスの中にジン酒を高くかざして
盛んに幸福を祝う暴落は
三色版なれども我が哀れなる膏薬の如き
壁に垂れたること久し
青黒き滑稽なる我が生命は
鳳仙花のようにかなり貧弱に笑う

 (7)

結婚をした女の人が沢山歩いている
気の弱い人は皆な驚く

 (8)

頭の明晰ということは悪いことである
けれども上級の女学生はそれを大変に愛する

 (9)

ミレーの晩鐘の中にいる青年が
穿いているズボンの様に筋がついていないで
ブクブクして青ぼったいのは
悪いことである

 (10)

女の人が富裕な重苦しい世界を
到る処へ運んでいかなければならないことは
今いっぺん真面目に考えて見なければならない

 (11)

銅銭を水に漬けてから使用する方が
礼節に富んだ世界である
然し
沈黙は軽薄なことである
影はあまりに鮮明で面白くない
山の中で寂莫が待っているとは
厄介なやつである

 (12)

随分ナマイキな男が
ステッキを振りまわしつつ
木造の家に入って行ってしまった

 (13)

夕日が親戚の家を照らしている
滑稽な自然現象である

 (14)

一個の丈夫な男が二階の窓から
自己の胸像をさらけ出して
桜んぼの如き慘憺たる色彩を浴びる

 (15)

夕暮が来ると
樹木が柔かに呼吸する
或はバルコンからガランスローズの地平線をみる
或は星なんかが温順な言葉をかける
実になっていない組織である

 (16)

秋という術語を用いる時間が来ると
草木はみな葉巻の様な色彩になる
なんとキモチの悪い現実である

 (17)

気候がよくなるとイラグサの花が発生している
三メートル位の坂をのぼって
だんだんと校長の方へ近づく

 (18)

シルクハットをかむって樹木をみていると
頭が重くなる

 (19)

洋服屋の様にテーブルの上に座って
口笛をふくと
ペルシャがダンダンと好きになる
なにしろバラの花が沢山あり過ぎるので
窮迫した人はバラの花を駱駝の朝飯にする
なにしろガスタンクの中にシャーベットを
貯蔵して夕暮が来ると洗濯をしたり
飲んだりするなんて
随分真面目になってしまう

 (20)

進軍ラッパをとどろかしてからフチなし眼鏡をかけて
パイプに火をつける瞬間は忽然たるものである
そうして自画像が極端によく出来ている

 (21)

王様の誕生日にハモニカを吹奏して
勲章をもらった偉人は
サマルカンドの郊外に開業している得業士である
彼の義父はアラビアに初めて
茄子を輸入した公証人であった

 (22)

蒸し暑い朝の十時頃路端の草の上に
腰かけて女優の絵葉書を五、六百枚位懐から出すことは
大体に於て崇高なる魔術師である

 (23)

薄弱なる頭髪を有する男の人物が
モミジの樹に小さいセミが付着しているのを
聴いている
なんと幸福なる緑の弊害である

 (24)

真赤なクツシタを穿いてブラブラ散歩に出たけれども
公園に廻り我が余りに清きクツシタをはきかえる
其の崇厳なる音楽

 (25)

カイロの街で知合になった
一名のドクトル・メジキネと共に
シカモーの並木をウロウロとして
昨夜噴水のあまりにヤカマシきため睡眠不足を
来せしを悲しみ合った
ピラミッドによりかかり我等は
世界中で最も美しき黎明の中にねむり込む
その間ラクダ使は銀貨の音響に興奮する
なんと柔軟にして滑らかなる現実であるよ

 (26)

古い帽子の内面を淋しがるようじぁ
駄目だ まだ精密でない
ツクシンボウの中で精霊の夢をみんとして
寒暖計の水銀球を愛するのである
何んにつけても
愛らしき春が革靴の下で鳴るのである

 (27)

牧場の様にこと程そんなに質素な庭に
貿易風が吹く頃は
尖んがった頭蓋骨と顎が
整列する
こんなものはおれの兵隊には不適切である
又彼等はおれの軍楽隊に入って貰うには
余りにムラサキのヒゲがある
それから第一に彼等はメロンが好きでないから困る

 (28)

女性的にクニャクニャした空を
菩提樹が足をハリ上げて蹴る強烈なる正午に
若き猶太人をのせた自動車が
凱旋門を通過し伊太利料理へと進行す
キャンティよ汝は……

 (29)

脳髄の旋転が非常に重い
そうして具体的に渋いのは海岸線である
太陽太陽が出るのである
香水の商売をしているヘブライ人が
ナギのいい砂漠の上に額をこすりつけて
礼拝する

 (30)

《熱帯の孤島にある洋館の一室
中央にただひとり藤椅子の上に
船長の細長い顔した令嬢が座っていた
崇厳なる処女の無口とその高価なる大絨毯のため
一青年は紙煙草の灰を落す場所なく遂に
自殺をした》
なんたる猛烈たる日中であるよ
しかしそうでもないよ

 (31)

死人の机の中から
紙煙草の銀紙で造った大なるボールを発掘した。
なんたるハイマートクンストであるよ

 (32)

平らべったい山脈に
フロックコートをきて立つ
そうしてシノノメを待つ
三脚と杖は
実に清潔なる影をなげることになる
なんと偉大なる感情家で天然の法則はある

 (33)

世界がつまらないから
泰西名画を一枚ずつ見ていると
遂に一人の癇癪もちの男が
郷里の崖に祝福を与えている

 (34)

割合に体裁のいい景色の前で
混沌として気が小さくなってしまう瞳孔の中に
激烈に繁殖するフユウシアの花を見よ
あの巴里の青年は
綿の帽子の中で指を変に屈折さす
郵便局と樹があるのみ
脳髄はデコボコとして
痛い

(大正15年=1926年11月「三田文学」、仮名づかいは詩集『近代の寓話』収録時の新仮名づかいに拠りました。)