人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

飯島耕一詩集『他人の空』昭和28年(1953年)刊より

飯島耕一詩集『他人の空』

昭和28年(1953年)12月15日・書肆ユリイカ
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 鮎川信夫に代表される詩誌「荒地」の詩人たちを戦後詩の第1世代とすれば、戦後詩の第2世代というべき作風を見事に結晶させたのは飯島耕一(1930-2013)の第1詩集『他人の空』で、早熟だったこの詩人は同世代の誰よりも早く、習作期は中原中也を模倣し大学のフランス文学科ではアルチュール・ランボー、ギョーム・アポリネールからシュルレアリスムに傾倒していったそうですが、直接の中原中也からの影響を脱しながら、良い意味で中原中也から受け継いだ優れた直観力によって少年的な感性を残したまま、敗戦後の青年世代の内面的虚脱感を形象化してみせました。飯島耕一の詩は戦前の詩とはまったく違った抒情の世界を拓いてみせたものでした。この詩集の刊行直後から飯島耕一結核病棟に入院し、幸い快気して第2詩集以降現代詩の第一戦で活動を続けます。生涯数次に渡って作風の変遷もあった詩人ですが、今回は第1詩集『他人の空』から表題作を含む短詩5篇をご紹介しましょう。

「他人の空」

鳥たちが帰って来た。
地の黒い割れ目をついばんた。
見慣れない屋根の上を
上ったり下ったりしていた。
それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食ったように頭をかかえている。
物思いにふけっている。
もう流れ出すこともなかったので、血は空に
他人のようにめぐっている。

「空」

空が僕らの上にあった年。
目がさめるととつぜん真夏がやって来た年。
汗ばんだ雨傘をサーカスのように
ふりまわした年。
砂くちばしのように
空が垂れ下がったり拡がったりしはじめた年。

「切り抜かれた空」

彼女は僕の見たことのない空を
蔵い込んでいる。
記憶の中の
幾枚かの切り抜かれた空。

時々階段を上って来て
大事そうに
一枚一枚を手渡してくれる。
空には一つの沼があって
そこには
いろいろなものが棲んでいると云う。

そこに一度きりしか通過したことのない
小さな木造の駅があって、
草履袋をもった
小学生が
しゃがんでいたりする。

ついで彼女は
失くしてしまった空の方に
もっと澄んだのがあったとも云った。

「探す」

おまえの探している場所に
僕はいないだろう。
僕の探している場所に
おまえはいないだろう。

この広い空間で
まちがいなく出会うためには、
一つしか途はない。
その途についてすでにおまえは考えはじめている。

「途」

やがて僕らも一つの音をききわける。
器物のふれあうかすかな音のなかに。
風の歩み去る音、
水を漕ぎわける櫂が作る音のなかに、
僕らの内なる音のなかに。

そのなかに一つの途を探す。
そこに一人の女の顔を探す。
途は数知れずある。
けれども僕らの選んだ途が一つであるように。

(昭和28年=1953年12月15日・書肆ユリイカ刊)