人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

五つの赤い風船 - フォーク・アルバム(第一集) (日本Victor, 1969)

五つの赤い風船 - フォーク・アルバム(第一集) (日本Victor, 1969)

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五つの赤い風船 - フォーク・アルバム(第一集) (日本Victor, 1969) : https://youtu.be/vjEs_bArPpc

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(a) From the album "高田渡五つの赤い風船" (URC Record URL-1001, February & August, 1969)
Recorded at 毎日放送千里丘第一スタジオ, November 13 & 26, 1968, January 3, 1969f:id:hawkrose:20210219135708j:image
(b) From the album "おとぎばなし" (URC Record URL-1008, August 1, 1969)
Recorded at アオイ・スタジオ,
July 2 to 4, 1969
Compile Released by 日本ヴィクター株式会社 Victor SJV-430, November 5, 1969
Compile Reissued by 日本ヴィクター株式会社 Victor SF-1003, July 5, 1971
全作詞・作曲=西岡たかし (expect as indicated)
(Side 1)
A1. 遠い世界に - 4:04 (a)
A2. 遠い空の彼方から - 5:45 (a「遠い空の彼方に」)
A3. 血まみれの鳩 - 5:33 (a)
A4. もしもボクの背中に羽根が生えていたら - 2:07 (a「もしもボクの世界に羽根が生えてたら」)
A5. 一つのことば - 4:58 (a「一つの言葉」)
A6. 恋は風に乗って - 2:20 (a)
(Side 2)
B1. まぼろしのつばさと共に - 2:57 (b)
B2. 時計 - 4:07 (b)
B3. 母の生まれた街 - 7:24 (b)
B4. 一滴の水 (作詞・作曲=中川イサト) - 2:37 (b)
B5. 青い空の彼方から - 2:45 (b)
B6. おとぎ話を聞きたいの - 5:38 (b)
[ 五つの赤い風船 Five Red Balloon ]
西岡たかし - vocal, guitar, vibraphone, piano, celesta, harmonica, recorder, autoharp
中川イサト - vocal, guitar
藤原秀子 - vocal, organ
長野隆 - vocal, bass
with (b)
木田高介 - drums
つのだ・ひろ - drums
谷野ひとし - bass

(Compile Victor "フォーク・アルバム(第一集)" LP Liner Cover, Insert, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)

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 1967年に大阪で結成されたフォーク・ロック・グループ、五つの赤い風船は、フォーク・シンガー高石友也のサード・アルバム『坊や大きくならないで~フォーク・アルバム第三集』(日本Victor SJV-405, June 1969)のバック・バンドにジャックスとともに起用され、マネジメントを手がけていた秦政明が当初会員限定配布のインディー・レーベルとして立ち上げた「あんぐら・れこーど・くらぶ(URC)」のアーティスト第一弾アルバムとして高田渡とのスプリット・アルバム『高田渡五つの赤い風船』(会員配布1969年2月)でデビューしましたが、URCはアルバムの反響の大きさと売れ行きから1969年8月からは新作の一般発売に踏み切ります。一般発売の第一弾は岡林信康のファースト・フルアルバム『わたしを断罪せよ』(URL-1007)と、五つの赤い風船のファースト・フルアルバム『おとぎばなし』でした。ただし当時はインディー・レーベルでの一般流通網は少なかったので、秦政明は高石友也のアルバムを出していた日本ヴィクター株式会社から少し遅れてURCからの岡林信康五つの赤い風船のアルバムからのコンピレーション・アルバムを日本ヴィクターからリリースしていきます。そこで五つの赤い風船の初期アルバムはURCからのオリジナル・アルバムとメジャー・レーベルの日本ヴィクターからのコンピレーション・アルバムの両方が並行してリリースされることになりました。本作『五つの赤い風船フォーク・アルバム(第一集)』は高田渡とのスプリット・アルバム『高田渡五つの赤い風船』に収められた全9曲からオープニングとエンディングのインストルメンタル・テーマ曲2曲と「二人は」1曲を除いた6曲をA面に収め、ファースト・フルアルバム『おとぎばなし』収録の全12曲からインストルメンタル曲、民謡の改作曲、アヴァンギャルドな実験的楽曲6曲を除いて6曲をB面に収録したものです。上記曲目は1971年7月リリースの再発盤によるもので、1969年11月リリースの初回版ではA1は「恋は風に乗って」、A6は「遠い世界に」と曲順が異なっており(曲名表記もURC盤とやや異なっており)、また初回版ではB面は5曲収録で、B5「青い空の彼方から」は1971年7月の再発盤で追加されたものです。

 西岡たかし(1944-)をリーダーとした五つの赤い風船は藤原秀子(1946-2013)と西岡の男女ヴォーカル、また西岡の作曲力で関西のフォーク界屈指の人気グループとなり、京都で結成されたフォーク・クルセダーズ、東京のジャックスと並ぶフォーク・ロックのグループでした。中川イサト(1947-)の優れたギター・ワーク、ベーシスト長野隆(年齢非公開)のジャズ指向のベースともに演奏力にも定評があり、『おとぎばなし』制作後に中川は脱退、ギタリストは東祥高に変わりますが、次作『巫OLK脱出計画』'70. 3、URCのディレクターを勤めていた元ジャックスの早川義夫がゲスト参加したライヴ・アルバム『五つの赤い風船イン・コンサート(第4集)』'70.8、2枚組アルバムとして制作され別売された『NEW SKY(アルバム第5集part1)』『FLIGHT(アルバム第5集part2)』'71.7は西岡たかしが木田高介・斎藤哲夫との連名で制作したプロジェクト作『溶け出したガラス箱』'70.10、藤原秀子のソロ・アルバム『私のブルース~藤原秀子ソロ・アルバム』'70.12と並んで高い評価を受けています。1972年に五つの赤い風船は急激に失速し、ロサンゼルス録音でそれまでのレパートリーを再録音した2枚組アルバム『僕は広野に一人いる』'72.5をリリースしますが、すでにグループとしての結束力はなくURCのアーティスト多数をゲストに迎えた解散コンサートの3枚組ライヴ盤『ゲームは終わり~解散記念実況盤』'72.10を発表して解散しました。以降も1975年には再結成アルバムを発表し、散発的な離合集散をくり返して現在もメンバー交代を経て活動中ですが、評価は『NEW SKY(アルバム第5集part1)』『FLIGHT(アルバム第5集part2)』までに尽きています。

 西岡たかしの指向はカレッジ・フォークの流れをくんだ大衆的フォーク、プロテスト・フォークと実験的なサウンド指向に分裂しており、カレッジ・フォーク系統の代表曲は「遠い世界に」「これがボクらの道なのか」、さらにメッセージ的な「母の生まれた街」などがあるかと思えば、プロテスト・フォークと実験的指向が融合した「血まみれの鳩」や全編が実験的なアルバム『溶け出したガラス箱』や『NEW SKY(アルバム第5集part1)』ではフォーク・クルセダーズやジャックスと肩を並べるアシッド・フォーク~サイケデリック・ロックに踏みこんでいるといった具合で、近年の五つの赤い風船=西岡たかしの再評価は『溶け出したガラス箱』や『NEW SKY(アルバム第5集part1)』で聴ける異様なサウンド感覚によるものです。すでに五つの赤い風船初期の代表曲がずらりと並ぶスプリット・アルバム『高田渡五つの赤い風船』(本作A面)は加藤和彦サウンド・プロデュースによるものであり、ライヴ盤『五つの赤い風船イン・コンサート(第4集)』は早川義夫のゲスト参加によってジャックスのサウンドをそのまま継承するメランコリックなものでした。しかし西岡たかし自身は観客とともに大合唱するカレッジ・フォーク系統の「遠い世界に」「これがボクらの道なのか」の路線に執着が強く、それが再評価~現在の五つの赤い風船の活動に初期アルバムの実験性を求めるリスナーには物足りない、旧態依然たるフォーク・グループという印象にとどめることになっています。西岡たかしにはその両面があり、それが現在のリスナーには五つの赤い風船の真価をつかみ難くしています。日本ヴィクター盤ではオリジナルのURC盤よりもポピュラーな面が強調された選曲なのが、むしろ五つの赤い風船の音楽的混沌を示しているとも言えます。また日本のアシッド・フォークの限界は五つの赤い風船に表れているとも言えるのです。