人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病棟スケッチ(7・女難5)

ジュリアさんは約束を守った。シフトが一巡すると病棟の全医療スタッフに一昨年の堀口優子とぼくの因縁が知れ渡った。ジュリアさんはそのために書類まで作製した。忍の一字の精神科病棟でこんな面白い話題は滅多にないからだ。翌日の責任者で優しさと親切さではスタッフ1の中村ナースなどは申し送りの直後にぼくの6人部屋まで訪ねてきて「お話は伺いましたからね」と激励してくれたほどだ。
「佐伯さんは優しいからね。堀口さんもずっとこういう環境だから」と同情に耐えない様子だったのは前川介護士。だがそれだけではない。
「たびたびナースステーションに訴えていましたよ」とぼくは言った、「お父さんがずっと彼女の障害者年金をごまかしてる、って。だから病棟で唯一退院の見込みのあるぼくと結婚して保護者になってほしかったんじゃないですか、たとえ自分は入院のままでも」
「結構計算高いのね」とジュリアさん、「獄中結婚みたい」
それを獄中結婚に喩えるなら、ぼくは精神疾患を隠れ蓑にした徴兵忌避者みたいなものだ。だから一昨年も今回も女で入院することになった。その経緯は主治医には話したがジュリアさんや中村さん、ぼくの尻を撫でるのが趣味の海野さんらナースチームには話さなかった。
ぼくは7歳年下の人妻に求められて不倫関係に陥り、行き詰まりと共に急激に病状を悪化させ緊急入院した。こんなことはナースには話せない。

堀口はやはりぼくを忘れていた。翌日廊下で「はじめまして、堀口優子といいます。お名前は…」ぼくはボソボソ呟いて男子トイレに避難した。名前が割れるのも時間の問題だ。彼女の前で誰かがぼくの名前を呼べばいい。一昨年の件も思い出すだろうか?
この病棟も5~30年の長期入院患者が大半なので堀口と同一病棟経験があり、初日から誰も彼女を相手にしなかった。予想通り数日後には名前は割れ、「佐伯さん、あの…」無視するか「すいません」とトイレや喫煙室に逃げた。
「よし」とジュリアさん、「そのまま放置プレーでいきましょう」
喫煙室で一人で煙草を喫っていると、女性患者の根本がドアの外でもじもじしていた。「どうしたの?入れば?」「でも優子ちゃんがヤキモチ焼くから…」
「言いふらしてるわよ、自分は男性患者の一人に恋されてるって」と美人アル中患者の三浦さんは言った、「バカバカしくて相手にしてられないわ」