人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病棟にて・3(老女エリザベス)

精神疾患について、これまで症例自体を話題にしたことは案外少なかった。ぼく自身が適切な書き方にあぐねていたからだ。
確かに慢性化患者ならではの奇行と一括すればそれまでだが、奇行自体が多彩な上、いくつかの類型に分けることもできる。だがそれはひとり一人の個別的症状なのか、典型的症状に個人的なバイアスがかかったものかは短期的には見分けがつかない。経験則と統計を同一視するわけにはいかないが、ピンポイントというのは不可能だろう。
躁と鬱、これは状態として判別はつきやすい。興奮しているか鬱屈しているか、それがどのように現れるのかは患者一人ひとりの個性による。
では妄想はどうか?妄想はおおよそ誇大妄想と被害妄想に大別できるようだ。ケペト星人から実家に5千億兆円が届くとか、S台前駅周辺の地所はすべてうちの土地だとかの「富裕妄想型」を代表に、「石原裕次郎ブルース・リー、松田雄策」を語って止まない「英雄崇拝型」、宇宙や歴史の真相や陰謀を「実は私は知っている」1型(荒唐無稽)・2型(日常、この場合入院生活に限定された妄想が主)。素人の分類ですよー。便宜的なものと思ってくださいねー。
これらは劃然と分かれているのではない。ぼくは妄想2型の人がひとり言で「平成天皇…皇太子…Wさん…」と皇位継承権をあげているのを聞き、思わず爆笑してしまって怒られてしまった。Wさんは一昨年の入院の時よりさらに理解不可能(たぶん本人も-一昨年は毎日ぼくに名前を尋ね、石原裕次郎美空ひばりの近況を訊くくらいではあった。今のWさんは入院している自覚があるかもあやしい)になっていた。一日中幻聴に襲われ、絶叫していた男性患者はWさんだ。
一日中絶叫していた老女の患者は骨と皮ばかりに痩せ細り、自力で食事も歩行もできず、24時間介助が必要だった。「30年前はかわいかったのに」と入院歴30年の男性患者から聞いた。
老女の絶叫は呪詛に近かった。「私はねー、おメカケさんじゃないのよー、エリザベスの子なのよー、ヴィクトリアの子なのよー」これが日ノ出と共に始まり、消灯まで続く。
ある夜、ナース・ステーションに追加眠剤もらいにいき、「さっきからエリザベス静かですね」と訊くと、看護師さんは「あそこよ」と真っ暗なテレビ室を指差した。一瞬人道的には、と疑問が走ったが、他に有効な策もないのだった。