人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

夢を喰う人(日記・6月23日)

 一人暮らしで自宅療養中というと通院は必須だがあとは家事と炊事、どちらも大して手間どらないから時間はたっぷり余る。気晴らしとリハビリと少々のおこづかい(1万円までは生活扶助支給の枠外として収入になるはず)を目当てに障害者作業所に行きたい、と数年来念願しているのだが、デイケアですら無理と診断されてしまっては作業所は夢のまた夢。いったいこの自宅療養生活はいつまで続くのだろう?
 決っている。ワンルームを引き払って障害者のための集団住居施設に入るか、最終的な入院がそのまま「社会的入院」となってそこで余生を送ることになる。
エズラ・パウンドやアントナン・アルトーを思い出す。別に著名な詩人でなくてもいい。これまでの入院で接してきた人たちを思い浮かべればいい。
 しかし集団生活不適合な人格障害と診断されている人間にそれが耐えられるのだろうか?一時的入院ならまだしも、もう帰る場所がないとしたら。

 今朝は早朝覚醒。嫌な予感がした。予期不安が招いてしまう不調もある。とにかく無駄に早起き(鬱の予兆)したので主治医にも奨励されているブログ記事を書く。1日1篇が作業療法としては適度だ。
またミュージシャンの誕生日ネタでいくか。6月23日生まれ、ニック・デカロ。これは渋い。何も書けない。22日はトッド・ラングレンシンディ・ローパーの誕生日だったのを発見して臍を噛む。思い出がまつわるアーティストはつらい。
 唐突だが家電品のことを書くか?ようやく鬱が寛快したので壊れていた電子辞書、電機シェイバー、テレビ、ビデオデッキをメンテナンスしたら直ってしまった。せっかく無用の生活に慣れてきたのに惜しい気がする。素人のメンテナンスで直ってしまう家電品とは一体何か問いたい。
 文学でいくか?日本の3大精神病院小説といえば武田泰淳「富士」(1971)、夢野久作ドグラ・マグラ」(1930)あと1つ何でしょう?松永延造(1895~1938)の「夢を喰う人」(1922)だ。
 これを紹介する記事でも書こうか、とトイレに立ったら、また幻覚が生じているのに気づいた。水面に無数の渦が巻いている。台所のコップでも試した。目を凝らすと消えるのだが、気分も落ち着かず、おそらく躁・鬱混合状態なのだと思われる。ブログは頭から払いサンドイッチの朝食と服薬を急いで1日床に伏す。
突然こんな日がこれまでもあり、これからもある。