人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

もうひとつの戦争詩

 原爆慰霊記念日の前に広島の原爆投下にまつわる3篇の詩を紹介した。少々前倒しでやっておいてよかった。あの後すぐにブログ記事を書ける状態ではなくなったからだ。
 八月の内にもうひとつやっておきたいことがあった。大戦中にほとんどの詩人が戦争詩を強要されたのを忘れては片手落ちになるということだ。完全に沈黙を守った詩人は西脇順三郎しかいなかった。西脇の師にあたる萩原朔太郎は戦時中に没したが、朔太郎の全詩集の最後を飾る汚点と言われる戦争詩がある。「南京陥落の日に」。

歳まさに暮れんとして/兵士の銃剣は白く光れり。/軍旅の暦は夏秋をすぎ、/ゆうべ上海を抜いて百千キロ/わが行軍の日は思わず/人馬先に争い走りて/輜重は泥濘の道に続けり。/ああこの曠野に戦うもの/ちかって皆生帰を期せず/鉄兜きて日に焼けたり。/天寒く日は凍り/歳まさに暮れんとして/南京ここに陥落す/あげよ我等の日章旗/人みな愁眉をひらくの時/わが戦勝を決定して/よろしく万歳を祝うべし。/よろしく万歳を祝うべし。
 (昭和12年12月)

 どうだろう?あっけらかんとしたものだ。これが真珠湾爆撃となると、朔太郎の弟子の伊東静雄が熱狂的に詠う。「大詔」。

昭和十六年十二月八日/何という日であったろう/清しさのおもい極まり/宮城を遙拜すれば/われら尽く/--誰か涙をとどめ得たろう
 (昭和17年1月)

 だが戦時中の愛国詩で戦後に戦犯ぎりぎりの立場に立たされたのは高村光太郎三好達治だった。純粋な戦意昂揚詩集を何冊も出している。三好達治の「寒柝」(昭和18年)などはそのものずばり「撃ちして止まむ」という詩まである。だがこの詩集の巻末詩の哀惜はどうだろう。「ことのねたつな」。あまりの超絶技巧に詩が作者の意図を超えてしまっている。人間の哀しみに触れている。

いとけなきなれがをゆびに
かいならすねはつたなけれ
そらにみつやまとことうた
ひとふしのしらべはさやけ
つまづきつとだえつするを
おいらくのちちはききつつ
いはれなきなみだをおぼゆ
かかるひのあさなあさなや
もののふはよものいくさを
たたかはすときとはいへど
そらにみつやまとのくにに
をとめらのことのねたつな

 これはいったい戦争詩、愛国詩と言えるのだろうか?しかしおそらく作者の意図はそこにあったのだ。