人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

脳の機能障害について

イメージ 1

--さんこんばんは。ぼくも入院して強迫性水中毒の女性と同じ病棟になり、そういう病気があるのを初めて知りました(足むずむず病も自分がなって初めて知りましたが。こちらの方は病気として認定されてまだ2年ほどだそうです。これはまだ精神症状という解明はなされていません)。

精神の病気は脳の機能障害か?これもニワトリと卵みたいな話になってしまうかと思います。人間には魂(または心)というものもある、と考えると、脳の機能障害ではなくても魂は病んでいる、という人格のゆがみも一見、精神の病気と区別がつかないわけです。精神疾患と共に、パーソナリティ障害というカテゴリーで「人格のゆがみ」は研究されています。これもメンタル・クリニックの領域なのは、やはりパーソナリティ障害と精神疾患が症状として重なるからでしょう。パーソナリティ障害から精神疾患へ(またはその逆も)進んで、そのどちらにも該当する症状に至ることも考えられます。というか、ぼく自身がそうです。

19世紀の心理学は法治と医学の両方を目的に、死刑囚や精神障害者の脳解剖をして脳自体に異常はないか研究したのですが(医学と司法は密接な関係があります。法医学という分野がある所以です)、その直接の成果はともかく、精神症状は脳の構造ではなく機能の変調によることが解明され、現在のような薬物療法(脳も肉体です)と認知療法(心=魂の回復)の併用という現在の医療方法が主流になりました。

機能障害が先か、精神状態が先か?これは分けることができないものです。たとえば、狂気と「きちがい」と精神疾患はどう違うか?これもまた、歴史と共に解釈が分かれてきたところです。いわゆる「狂人」が聖者や巫女として畏怖や崇拝の対象になったり、共同体の中で道化の役割を果たしたりしてきた例は人類の歴史と共に長いものです。

また、「きちがい」という呼称は精神疾患への理解が進んだ現在でも相手の人格への最大の蔑称として民間の中に生きています。その底には精神疾患を犯罪者や変態嗜好者と同一視する排除の意識があります(しかも、犯罪者や変態嗜好者の側でも、自分たちを精神疾患と同一視されるのを拒むでしょう)。

参考文献は、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)の「狂気の歴史」1961をお薦めします。フーコーのテーマは権力・狂気・監禁・性でした。