人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病棟にて・4(強迫性水中毒)

3週間の隔離室期間は起きながら見ている夢のようだった。一切の所持品-本やノート、ボールペンまで禁じられているのには閉口した。もちろんラジオや有線放送、新聞の閲覧もない。入浴は週3回で、拘置所のように号礼式ではなくのんびり入れたが、拘置所では土日以外毎日あった運動時間がここではない。
いったい3週間も監禁されてなにを考えていたかというと、いわゆる「振り返り」をしていた。どの時期からどのようにぼくの病相は始まり、病相の進展にしたがって奇行や妄想が度重なり、ついにひどい幻覚に襲われて入院に至ったか。こうした一連の病相は何によるものだったか。
ようやく自分で妄想と現実を区別し正体を突き止めた頃に、隔離室を出されて4人部屋に移った。女性患者のYさんとあいさつや立ち話をするようになったのはそれからすぐのことだ。
ぼく自身も病棟に出てきて間もないが、なんとなく不安げにナース・ステーション前と自室を行きつ戻りつしているYさんの様子に、精神科入院は初めてなのかな、と思った。数度目に顔をあわせた時に、こちらから朝のあいさつをした。
「おはようございます」とYさん。ずいぶん気弱な声だが、ぼくがこわいからではないらしい。
「あの…昨日はすいませんでした」
「は?」
「テレビの邪魔になってしまって」
ああ、そういうことがあった。テレビ室は家族との面会室も兼ねている。彼女のお母さんが面会に来ていたのだ。-いいんですよ、ご面会の方優先ですから。
広汎性発達障害自閉症なのだろうか?Yさんは37歳と後で知ったが、25歳くらいにしか見えない。社会経験をまるで持たなかった人に見える。言われなくても独身に見える人っているものだ。話しぶりはおかしいところはないように見える。仕事疲れのOL?急性の統合失調様鬱?
しばらくして彼女が頻繁に転室し、ぼくに限らず廊下で目をあわせる誰彼に「すいませんでした」と謝っているのを見て、これは一朝一夕ではないな、と気づいた。そのうち彼女が食事と服薬以外はコップを取り上げられているのに気づき、隠れて洗面所の蛇口から水を飲んでいるのを見かけ、彼女の相部屋の前を通りすがりにカーテンも引かず自分で紙おむつを取り替えているのを見た。
強迫性水中毒。その手引き書がナース・ステーションにあるのを見た。これも主の創りたもうた人間の病だ。