人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

室生犀星「兇賊TICRIS氏」・萩原朔太郎「殺人事件」大正3年(1914年)

室生犀星明治22年(1889年)8月1日生~
昭和37年(1962年)3月26日没(享年72歳)
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兇賊TICRIS氏


TICRISはふくめんを為す。
TICRISは思ひなやみ、
盗むことを念ず。
盗むことを念ずるとき光を感じ
心神を感ず。
ぴすとるを磨き、
天をいだき、
妹には熱き接吻を与へ、
林檎を与へ、
TICRISは地下室のドアにもたれる。
べるりんの深夜。

宝石商レブランの仮名。
あさゆふの食卓うしろに
君は君の終るべき陥穽をしつらへ、
さかさまに墜ち砕ける。
自殺の陥穽であり、
をはりの君の住家だ。

君はまたカフエエの卓にもたれ、
つくづくおもへば
指は鳴る。
時計商店内部の光輝、
あさるべきスペクトオルの層密。
君の手にふれむことを祈り、
ときならぬ鈴を鳴らしめむ。
ああTICRISは又た思ひなやみ
瞳をくもらし、
十字を切り
哀しき夜行をおもふ。

露しげき深夜。
夜のびろうどの上を
一台の自動車はすべりゆく。
べるりん午前二時。
まあぶるの建物をするすると舉ずるもの、
黒曜石の昇天
ぴあの鳴る。
あはれふくめんの黒。
まなこは三角。
手にはあまたの宝石(いし)をささげ
するすると窓より下る。

金曜日午前チグリス氏在宅。
すずしき秋のあしたなり。
妹は紅茶を兄ぎみにまゐらす。
妹はチグリスの肩にもたれ
にくしんの接吻を為す。
いもうとよ
おんみはなにごとも知らず。
またとこしへに知ることなかれ。
おんみの坐し
おんみの臥すところの室内の器具。
すべては動き
すべては舞ひはじめるとき
わが兄の終りなり。
それまでは何ごとも兄を信ぜよ。

(「アララギ大正3年=1914年10月)


 この「兇賊TICRIS氏」は室生犀星(1889-1962)の明治42年(1909年、20歳)~大正3年(1914年、25歳)までの抒情詩を集めた第二詩集『抒情小曲集』初版(大正7年=1918年9月刊)には未収録になり、同詩集の大正12年(1923年)の再版で補遺詩篇「卓上噴水」の部に初めて収録されました。ただし犀星は再版詩集の「再刊小言」で「兇賊チグリス氏は原稿が散逸してゐて本集収録の末行十行ばかり見当らなかつた。あらたに作つて添付するの純を欠くため、わざと心ならずもその欠行の儘にして置いた」と注記しています。この「兇賊TICRIS氏」は室生犀星逝去直前の昭和37年(1962年)2月に全詩集を選抜・改稿・改訂の上で完成・刊行された『室生犀星全詩集』にも収録されましたが、句読点をすべて排し全篇に渡って大きく改作されています。ただし末行は「それまでは何ごとも兄を信ぜよ」で終わっていますので、散佚した結末部分の補訂はありません。

 この詩は室生犀星が親友の萩原朔太郎(1886-1942)とともに当時流行のサイレント時代のフランスの連続犯罪活劇映画を浅草で観て想を得た作品ですが、萩原もまた同時期(1か月前)に犀星とともに観た活劇映画に想を得た作品を発表しています。萩原の作品は大正6年(1917年)2月刊の第1詩集『月に吠える』のうちでも口語自由詩に着手した初期の1篇ですが、すでに独自の発想とスタイルを持つ見事な作品です。

殺人事件

 萩原朔太郎

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。

(大正3年=1914年9月「地上巡禮」)

 同じ犯罪活劇映画を観て書かれた詩でも、犀星の作品は場面場面を追って味読するように書かれているのに対して、萩原の作品は映画全体の印象から新たな幻想を再創造するように書かれていてはっきりとした対照を見せています。「兇賊TICRIS氏」はより長く周密に書けばどこまでも拡張していける詩ですが、「殺人事件」はこの三連・16行で完結しています。「兇賊TICRIS氏」も面白い詩ですから、これは資質の違いではあっても優劣の問題ではないでしょう。この場合、資質というのは単なる嗜好にとどまらず、ほとんど感覚自体の体質の差異となって表れているように思われます。