人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

石垣りん『私の前にある鍋と…』

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石垣りん(1920-2004・東京生まれ)が第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」1959以来、銀行員の勤めのかたわら10年ごとに刊行した詩集は、すべて現代詩の古典として永く愛読者を獲てきた。生涯独身を貫き、詩集4冊・エッセイ集3冊を遺す。石垣以前にはこれほど明確なフェミニズムの詩人は存在しなかった。作風は平易だが、彼女ほど日常的な発想を純粋な詩的表現で作品化した詩人はいない。第一詩集から名高い表題作をご紹介する。『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意の前にはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
思い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。
(詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」より)

たいへん優れた詩だが、これは理想的なヒューマニズムの称揚であって、現実には家庭内にこそ解決困難なエゴイズムが存在する。石垣にはそれを見据えた詩もある。次回でご紹介したい。