村山槐多(1896-1919・横浜生れ/京都育ち)は詩人と同等かそれ以上に画家として知られる。中学卒業後日本美術院研究生となり、ボヘミアン的生活のかたわら多くの短歌・詩・小説を残し、画家としての地位も固めた矢先の夭逝だった。
『二月』 村山 槐多
君は行く暗く明るき大空のだんだらの
薄明りこもれる二月
曲玉の一つらのかざられし
美しき空に雪
ふりしきる頃なれど
昼故に消えてわかたず
かし原の泣沢女さえ
その銀の涙を惜み
百姓は酒どのの
幽なる明りを慕う
たそがれか日のただ中か
君はゆく大空の物凄きだんだらの
薄明り
そを見つつ共に行くわれのたのしさ
*
ああ君を知る人は一月さきに
春を知る
君が眼は春の空
また御頬は桜花血の如(ごと)赤く
宝石は君が手を足をおおいて
日光を華麗なる形に象めり
また君を知る人は二月さきに
夏を知る
君見れば胸を焼かれて
火の国の入日の如赤くただれ
唯狂おしき暑気にむせ
とこしえに血眼の物狂いなり
ああ君を知る人は三月さきにも
秋を知る
床しくも甘くさびしき御面かな
そが唇は朱に明き野山のけはい
また柳ひとみに秋の日のきららかなるを
そのままにつたえ給えり
また君を知る人は四月のまえに
冬を知る
君が無きときわれらが目すべて地に伏し
そこにある万物は光色なく
味もなくにおいも音も打たえてただわれら
ひたすらに君を待つ春の戻るを。
(遺稿集「槐多の歌える」1920より・1913年作)
「道程」が1914年、「月に吠える」が1917年と思うと槐多の斬新さがわかる。「君は行く…」で各連を始める文体は佐野元春の「約束の橋」を思い出させる。
『一本のガランス』 村山 槐多
ためらうな、恥じるな
まっすぐにゆけ
汝のガランスのチューブをとって
汝のパレットに直角に突き出し
まっすぐにしぼれ
そのガランスをまっすぐに塗れ
生のみに活々と塗れ
一本のガランスをつくせよ
空もガランスに塗れ
木もガランスに描け
草もガランスにかけ
□□をもガランスにて描き奉れ
神をもガランスにて描き奉れ
ためらうな、恥じるな
まっすぐにゆけ
汝の貧乏を
一本のガランスにて塗りかくせ
(「槐多の歌える」より・1918年作)