人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「ダダイスト辻潤」を書く中年男

年賀状を書き投函、12月27日。来年のため宛名の面をコピーする。昨年~今年の年末年始は精神病棟だった。病院以外は年賀状だけの往来。肉親すら交際を絶っている。病院2・教会1・肉親親類縁者4・恩人4・友人4、計15通。減ったな、とも思うし、まだそんなに、とも思う。
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横浜を出所してきた時には友人知人恩人に、離婚して条令違犯でぶちこまれ一人暮しに戻ったと連絡し、最初の精神病棟入院まではけっこうメールのやりとりもあった。それがはっきりした悪化の兆候で、ぼくは障害者手帳(精神保健)を取得し、退院から半年後には危篤状態で再度の救急車搬送されたのだった。-そして病状悪化のたびに、ぼくは友人を失ってきた。躁状態の躁鬱患者に接したら電話やメールですら嫌悪感を抱かずには済むまい。
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郵便局員の妻とフリーライターのぼくは喪中を除いても夫婦で200通以上、娘らの保育園や小学校の友だちは家族ぐるみだからさらに100通あまりの年賀状をようやくクリスマス頃に仕上げた。年末年始とはいえ妻の休みは大晦日と3が日のみ。クリスマス後からの休みに娘たちを動物園や遊戯施設(「こども夢パーク」はよく行った)やぼくの実家に連れて行くのは慢性気管支炎で肺炎寸前のぼくの役目だった。
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4か月の獄中生活は懲役3か月執行猶予3年(面白いものだ、執行猶予満了と同時に不倫恋愛の行き詰りで火災事故死寸前の緊急入院-3回目、になるとは)の判決が下り、別れた妻にも連絡をとった。
「黄色いリボンはないのかい?」
「…荷物は送りますから」と妻は言った。
「処分してもいいのに」「その方が高くつくわ。もう置いときたくないのよ」「娘らやきみがほしいものはは送らなくていい。ビデオやゲームも」
「引っ越し代は出すわ」と妻は言った。「その代わり…」
「なんだい?」
「娘たちの学資保険、あなたと私の2口ずつ掛けているのよ。あなたの分も私の名義に変更するのに本人同意が必要なの。都合のいい時に、電話で済むから」
「…いや、引っ越し代は助かるが、ぼくの分の学資保険はぼくに払わせてくれないか?」
「あなたは払えないわよ」
「払うよ。そのくらい払わせてくれ」
「あなたは払えないの」と妻は言った。「学資保険は親権者じゃないと掛けられないのよ。あなたにはもう親権はないの。民事で決まったの。あなたは最低の父親でした」