人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

鮎川信夫『白痴』

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 鮎川信夫(1920-1986・東京生れ)にはあまり話題にされないが好ましい佳篇がいくつもある。「荒地」同人編「荒地詩集一九五一年版」収録の鮎川詩集は『死んだ男』『アメリカ』『白痴』『繋船ホテルの朝の歌』『橋上の人』の5篇。このなかで『白痴』は力作4篇にあって箸休めのように見える。だがこの詩を単独で読むと実にいいのだ。

『白痴』 鮎川 信夫

ひとびとが足をとめている空地には
瓦礫のうえに材木が組立てられ
鐘の音がこだまし
新しい建物がたちかけています
やがてキャバレー何とか
洋品店何とかになるのでしょう
私はぼんやりと空を眺めます
ビルの四階には午後三時から灯がともり
踊っている男女の影がアスファルトに落ちてきます
(…)

日が暮れかかると
劇場は真黒な人を吐き出します
ふるえる電線の街の
灰色の建物のしたを孤独な靴音が
もみあうおびだだしい影をぬってゆきます
その孤独のこだまのなかには淋しさの本質がちょっぴりあります
十字路には警官が立っていて
これが本当の東京の街路ですが
この街のどこもかしこも
光りの痕跡が小さくなってゆくようです
つかれているのは私ばかりではありません
指輪や装身具の飾ってあるショーウィンドをのぞいて
うつくしく欠伸をしている女がいます
その横顔をぬすみ見ている紳士がいます

春のころ代議士候補が
サラリーマンや労働者を相手に
よく政府の悪口を言っていた広場には
サーカスの看板がこがらしに吹かれています
街路樹の枯枝に
小鳥がとまっていることも見のがせません
サーカスのむすめの写真をながめながら
私はかるい舌うちをしました
もちろん誰にも聞えるきづかいはありません
どうやら私は今年も結婚しそこねたようです

これから私は何をしたらよいのでしょうか?
ひとびとのうしろに行列して夕刊を買い
今日の出来事を
昨日のように読みすてましょうか?
そしてニュースが私を読みすてたら
茶店でコーヒーをのみ
それからあとの計画は
一杯のコーヒーをまえにして考えようと思うのです
一人の若いウェイトレスが
たまたま可愛いい瞳をしていたからといって
少しばかり恥をかくようなことがなければよいのです
 (「鮎川信夫詩集」1955より)