人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西脇順三郎『近代の寓話』

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西脇順三郎(1894-1982・新潟県小千谷市生れ)の作風は三期に分けられる。第一期は処女詩集「Ambarvalia」1933に、第二期は長篇詩「旅人かえらず」1947にまとめられた(西脇は戦時中に戦争詩を一切書かなかった、唯一の詩人でもある)。第三詩集「近代の寓話」1953から晩年までが、西脇の長い円熟期にして第三期にあたる。
 専門の英文学に限らず、西脇は驚異的な語学力で古今東西の文学に通じていた。題材はごく日常的なものでも、引用やレトリックによって詩的な思考を展開するのがどの時期でも一貫した西脇の手法だった。

『近代の寓話』 西脇 順三郎

四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌粟の家の人々と
形而上学的神話をやっている人々と
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
アンドロメダのことを私はひそかに思う
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている
ふところから手を出して考えている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもって記念の
写真をうつして又お湯にはいり
それから河骨のような酒をついで
夜中幾何学的な思考にひたったのだ
ベドウズの自殺論の話をしながら
道玄坂をのぼった頃の彼のことを考え
たり白髪のアインシュタインアメリカの村を
歩いていることなどを思ってねむれない
ひとりでネッコ川のほとりを走る
白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモモの木が白い花をつけて
道ばたに曲っている、ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散っていた
岩にしがみつく青ざめた菫、シャガの花
はむらがって霞の中にたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になった
忽然としてオフェーリア的思考
野イチゴ、レンゲ草キンポウゲ野バラ
スミレを摘んだ鉛筆と一緒に手に一杯
にぎるこの花束
あのたおやめのためにあの果てしない恋心
のためにパスカルリルケの女とともに
この水精の呪いのために
 (詩集「近代の寓話」より)