人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

華麗なるGS の世界

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GS(グループ・サウンズ)と言って通じるのはどのくらいの世代までだろうか?NHK-BSでは定期的にGS特番があり、生前の鈴木ヒロミツ(モップス)もアイ高野(カーナビーツ)も、岡本信急逝前のジャガーズも、さらに再結成ゴールデン・カップス特集も(デイヴ平尾は3年後逝去)あった。
さらに井上忠夫が病苦で自殺後もブルー・コメッツは健在で、ワイルドワンズも再評価で気合十分、今井久(パープル・シャドウズ)もギター名人の腕に衰えはなかった。45年経っても現役の人は現役なのだ。オックスのヒデトも元祖ヴィジュアル系の妖しさたるやもはや屍臭を放っている。生きながらGSに葬られ、か。沢田研二との確執からタイガースを強制追放された(事務所がヤクザに監禁させた)加橋かつみが必ず出てきて美しいテナーで名曲「花の首飾り」を歌う。

さて、アルバム紹介。GSの先駆けとなったアルバムはザ・スパイダース「アルバムNo.1」(1966年4月)とブルー・コメッツ「オリジナル・ヒット第一集」(1966年9月)だが、66-67年はまだシングル盤中心だった。その間にヒット・シングルを連発していたバンドのアルバム・リリースが始まるのが1968年で、この時差が大きい。66年のお洒落はモッズだったが、68年にはサイケという頭のネジが魑魅魍魎の時代になっていた。
写真(上)はGSの明暗、
ザ・タイガース「世界はボクらを待っている」1968年5月
●アウト・キャスト「君も僕も友達になろう」1967年11月
で、タイガースのあまりの過密スケジュールのためにスタジオ録音はアウト・キャストがカラオケを作っていたのは有名な話だ。
写真(中)はともに中堅の実力派で、所蔵会社の方針でバンド自身の演奏が徹底された。
ザ・ジャガーズ「ファースト・アルバム」1968年2月
ザ・カーナビーツ「ファースト・アルバム」1968年2月
どちらもヒット曲を含み、出来もすこぶる良い。
写真(下)はGSの次の時代を予感させるアルバム。
ザ・スパイダース「明治百年・すぱいだーす七年」1968年10月
●ザ・モップスサイケデリックサウンド・イン・ジャパン」1968年4月
…まだまだ重要なバンドが抜け落ちているが、それはまたいずれ。ぼくは娘が赤ちゃんの頃にGSを歌ってあやしていたのだ。