人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ザ・テンプターズ( 前編)

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グループ・サウンズのなかで最大のスターがリード・ヴォーカルに沢田研二を迎えたザ・タイガースだったのは多くの人に異論はないと思われるが、後年GS全体に総括的な展望を与えてみると、タイガースの人気は必ずしも音楽的な評価とは一致しない。
GSの確立者はザ・スパイダースとブルー・コメッツというラウンジ・バンドからの転向グループだが、内田裕也が学生エレキ・バンドが少年歌手を加えて活動していたグループを発掘して、渡辺プロの営業力とすぎやまこういちの音楽監修で売り出したのがザ・タイガース。先に学生エレキバンド・コンテストで優勝しフォーク・ロックでプロ・デビューしたザ・サヴェージ(寺尾聰在籍)という先例もあった。アマチュア上がりの、若いバンドが求められていたのだ(だからジャガーズのような実力派は苦戦した)。
若いバンドでもザ・ダイナマイツやザ・モップス、ザ・ビーヴァーズ、ザ・カーナビーツのような本格的なロック指向バンドは苦戦した。ザ・ゴールデン・カップスはシングルよりもアルバム指向、リード・ヴォーカル以外全員ハーフの横浜のバンドということで欧米ロックと同格に評価され、他のバンドが1、2枚を残すのがせいぜいのGS界では異例の、10枚あまりのアルバムをリリースしている。

さて、タイガースの対抗馬として人気を誇り、短い全盛期の後はプロダクションの思惑が裏目に出て急激に凋落し、解散後は一切バンド時代のレパートリーも歌わず再結成もテレビ出演もしない。それがザ・テンプターズだ。メンバーは、
萩原健一(vo,hrp)
松崎由治(g,vo)
田中俊夫(g,org/故人)
・高久 昇(b,vo)
大口広司(ds,vo/故人)
の5人。アルバムは5作。

●ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム(1968年6月)
●5-1=0 ザ・テンプターズの世界(1969年2月)
●ザ・テンプターズ・オン・ステージ(1969年7月)
●ザ・テンプターズ・イン・メンフィス(1969年12月)
●ザ・テンプターズ・アンコール(1971年1月)

また、1969年3月には主演映画「涙のあとに微笑みを」が封切られている。俳優・萩原健一の初主演映画としても重要な上、メンバー全員のキャラクターをうまく活かした映画としてアルバムと同等の価値を持つものだ。(後編へ)