人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(1)

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千田光(1908-1935・東京生れ)は北川冬彦との関わりで同人誌「詩神」からデビューし、北川が「詩と詩論」から独立創刊した「詩・現実」(1930年6月~)に依った散文詩詩人。「現代詩手帖」1971年1月号に「千田光詩集」11篇が組まれ、1981年「千田光詩集」が「左川ちか全詩集」と同じ森開社から限定300部刊行された。私生活についてはほとんど知られていない。梶井基次郎が非常に注目していたことが北川あて書簡から伺われる。散帙作品を除き、現存作品は14篇。

『歴史章』

石の上の真青な花。花から滅形するものの中に、厭うべき色素の骸骨がある。緑青を噴いた骸骨がある。花に禁じ得ぬ火山灰。

それは荘厳な動機によって出発する美しい首である。美しい首には、勿論、血液の真珠がある。こっちを向いた美しい首には、拭うべからざる創痕がある。

そこには幾多の屍がある。白い曠しさが、厳丈な四壁を建てている。惰力を失って、傷■に墜ちた天象。音響の花。
(「詩神」1929年7月)

『夜』

私の散歩にあたって、私は実に得体の知れぬ現象に出遇った。
私は不図この光景を、未だ見知らぬこの道を、嘗てこの位置で、この洞穴にもまして暗い道の上で、経験したことがあるように思える。
なぜなら、この道は正確なところ発掘市のような廃れた町に墜ち込んでいる。私が顔をあげると鳥が羽を落して行く。軍鶏のような男が私を追越す。私はこの男を別に気に留めなかったが、と思いながら私は更に歩いていた筈だ、と考えて歩いている私の眼前に、突然、それらの現象が一塊となって現れたのだ。私は鏡でも撫でるかのように前方を探ぐった。
未だある!未だある!そうして秒間を過ぎると、私は更に驚嘆すべき発作に撃れる。それはというと、この道の先で一人の老人に遇うのだ。老人が私に道を乞う、私の親切な指尖が、ある一点を刺した時、老人の姿は、私の指尖よりも遥か前方を行くのだ、私は未だ遇わなければならない筈だ、片目眇の少年に。少年は兇器を握っている。兇器の尖には人形の首とナマリの笑いがつるさがっているのだ。その少年は私に戯れると見せかけるのだ。戯れると見せかけるのだ。

私はさっと苔を生じた。苔を生じた石のように土を噛んだ。
(「映画往来」1929年11月)

確かにここには梶井、北川との親近性がある。