人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Lookin' Thuru The Window(窓外)

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○コメントと断片より

(1)こちらこそそちらのブログが励ましになって、始めた早々徒労感を感じていたブログを続けてこられたと思っています。その頃はかなり重い鬱でしたので、主治医にも驚嘆されました。ただし躁鬱混合ならあり得るようです。ブログを続けるうちに重鬱は改善されていきました。
-ぼくは文筆で生計を立てていたけれど元々は作文好きの少年で、再び仕事ではなく少年の趣味に帰ったのです。おそらく軽鬱で済んでいるのも躁転しないのもぼくの躁の部分がブログ記事の作文で充足しているからだ、と思います。
無為な日は鬱屈しているよりも人に読んでもらうための作文を書いて過ごすほうが精神衛生的にもいい。朝から夕方までで6本書く時もあります。つらい内容を書いても書くこと自体はよろこびです。生きるよろこびを学びなさい、という格言もありました。そうやってぼくは躁を散らして、鬱も防いでいるわけです。

(2)生き甲斐を持っているというよりも見つけ出す・作り出すほうが正確でしょうか。ですから薬剤師さんをデートに誘い、やり直しのきかない人生を楽しんでいます。強いというより軽いんです。五年前の今頃は先行きの知れない獄中でしたが、毎日いろんな可能性を考えて半日が数日にも感じる時間を過ごしていました。釈放後も数ヶ月はどん底でした。後から主治医が打ち明けるには、治療開始時のぼくは自殺の危険性がもっとも高い患者だった。ただしぼくは例外的なほど鈍感で楽天的な患者だった(おそらく重鬱に見えて、軽躁が鬱からぼくを救っていた)のでしょう。悲惨ですらかけがえのない体験でした。辛い離婚さえも。
「生きるよろこびを学びなさい」というのは以前取り上げたフランス映画「ポネット」で、四歳の女の子が交通事故死したお母さんのお墓参りでお母さんから告げられ、初めて母の死を受け入れる場面の台詞です。ぼくのブログ記事では漱石「こころ」読解と並んでましな記事に入ります。どちらも死者からのメッセージという不吉な共通項がありますが、内容は正反対です。ぼくにも自滅的な誘惑はあるのです。

(3)はじめまして。その本はぼくも読みました。ぼくは双曲性障害ですが、主治医の見立てではアスペルガー症候群、シゾイド+強迫性パーソナリティ障害でもあるそうで、本を読むと納得いかない箇所もありました。