人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(6)

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『誘い』

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その男は、あらゆる音響を字体に移植しようと考えた。この研究に斃ても、自分は決して犬死ではない、むしろ歴史的な事業ではないか、と考えるに至った。そこで先ず彼は最初、燐寸を擦る音に就いて、研究を開始した。彼は二日二晩燐寸を擦り続けた。彼は硫黄の焼きついた黄色い顔を町へ運んだ。家家は怪しんで燐寸を売らなかった。狭い町ではこれを不審に思わない訳にはゆかなかった。その夜、一人の警官が彼に面会を強要した。ところが警官は腹を抱えて帰って行った。彼の耳が半分焦げていたからだ。彼はとうとう狂人にされて了った。彼は笑った。実際大声を張りあげて笑った。笑っているうちに、笑いの妙味が彼をとらえた。彼は直ちに燐寸を棄てて笑いを笑った。笑いはやがて灰色の窓に移されて行った。彼の笑いが完全に封じられた時、彼は彼の総身に笑いを立てながら病院の窓から墜落して了ったのだ。
(「作品」1930年10月)

1、2に共通するのは「音響にとり憑かれた男」という主題だが、2は直に入るのに対し1では主題がなかなか明確にならない。おそらく「桜」という道具建てが強すぎた。千田作品の2か月後に発表された梶井基次郎桜の樹の下には』ではどうか?

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。(…)
一体どんな樹の花でも、所謂真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それはよく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。(…)
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたのもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。しかし俺はいまやっとわかった。
お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがお前には納得が行くだろう」

力量の差は明らか。だが千田はここまでやったのだ。