人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

梶井基次郎『桜の樹の下には』

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梶井基次郎(1901-1932)は大坂生まれの作家。生涯病身、永年の結核療養の末に早逝。独身、無職。著作は短編集「檸檬」一冊。没後に全集が4次に渡り刊行され、古典的作家の評価は揺るぎない。『桜の樹の下には』は1928年発表の小品。引用中省略箇所は(……)で表した。

桜の樹の下には

桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかし今、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。(…)

一体どんな樹の花でも、所謂真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それはよく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。(…)

しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたのもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし俺はいまやっとわかった。
お前、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがお前には納得が行くだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐乱して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱き抱え、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕋を作っているのか、俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のように上ってゆくのが見えるようだ。(…)

ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
一体どこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、今はまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を降っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴を開いている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
(昭和3年12月・同人誌「詩と詩論」発表)