人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』

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 高橋新吉(1901-1987・愛媛県生れ)は日本で最初にダダイストを名乗った詩人(『ダダイスト新吉の詩』1923)、中原中也がもっとも敬愛した詩人、そして精神医学の分野では今なお特異例とされる。その前に、前記詩集から著名な一篇を。

『(皿)』 高橋 新吉

皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
倦怠
額に蚯蚓這う情熱
白米色のエプロンで
皿を拭くな
鼻の巣の白い女
此処にも諧謔が燻すぶっている
人生を水に溶かせ
冷めたシチューの鍋に
退屈が浮く
皿を割れ
皿を割れば
倦怠の響が出る

 この詩集が出た1923年=大正12年という年は萩原朔太郎『青猫』、金子光晴『こがね虫』の年であり、イギリスでは前年にT.S.エリオット『荒地』、ドイツではリルケの二大詩集『オルフォイスに捧げるソネット』『ドォイノの悲歌』の発表年でもあった。小説でも20世紀の文学を決定づけたプルースト、マン、ジョイスカフカの代表作が揃ったのが同時期になる。

 さて、その頃本場のダダイズム情勢はというと、メンバーの分裂で盛り下がりつつあった。あくまでもダダ=アナーキズムを主張するトリスタン・ツァラと、フロイティズムやマルキシズムの導入を提唱するアンドレ・ブルトンではツァラ絶対不利で、1916年に始まったダダ運動は22年に分裂し、24年にはそれぞれが「ダダ宣言」「シュールレアリスム宣言」を発表する。

 ほとんどのダダイストシュールレアリスムにスライドしたため、このふたつは連続したものと見倣されることが多い。だがダダの先駆といえるランボーロートレアモン、ジャリやアポリネール、どの流派とも離れて独自のダダイズムを精神病棟のなかで追求し続けたアントナン・アルトーといった存在がいる。
 例えばブルトンは宣言も好きなら除名も好き、といった人だった。絶対の孤立を恐れなかったランボーアルトーになんの宣言の必要も除名の効力もあるだろうか。

 高橋新吉が日本のダダイストを標榜し、さらに萩原恭次郎『死刑宣告』、小野十三郎『半分開いた窓』などの優れた詩集でデビューしたほんの数年間が日本の詩のダダイズム時代だった。世界恐慌治安維持法を経て30年代になると日本の詩は社会主義、抒情詩、シュールレアリスムと急速に方法化・組織化されたものになる。