人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉「戯言集」序

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 今回からは高橋新吉(1901-1987・愛媛県生れ)の第四詩集「戯言集」1934から、表題作の連作長編詩『戯言集』を紹介したい。

 高橋新吉は戦後にはダダと禅の詩人として国際的にも知られるようになる。たとえば戦後間もない代表作『るす』、

留守と言え
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る
 (「高橋新吉の詩集」1949より)

 これを菩薩降臨の周期(五億年)と言ってはつまらなくなる。人間のスケールを越えた思考こそが世俗の煩悩を払う禅の超越思想なので、精神的危機に陥った主人公の禅寺修行は小説でも夏目漱石「門」1910や志賀直哉「暗夜行路」1921-1937に見られる。
 また長男を乳児のうちに亡くし、幻覚や妄想が生じた中原中也は禅寺の療養所に入院している(1936年)。当時は禅寺が精神疾患医療機関を兼ねていたのだ。中原の入院した禅寺療養所は後に医院となった。

 つまり当時は禅宗と精神医療が分離していなかったのだ。高橋の独創とみえる「ダダと禅」も、むしろダダから近代主義を除去した結果と思える。
 高橋が禅に触れたのは1928年、郷里での禅寺詣が初めてという。同年、佐藤春夫の序文で第三詩集「高橋新吉詩集」刊行。
 次の「戯言集」1934までに高橋は閉鎖病棟の隔離室に3年に及ぶ長期入院があった。続いて長篇小説「狂人」と短編集「発狂」も刊行される。
 高橋は完全な慢性症状を診断された。もはや回復は望めない。だが高橋は回復し、86歳の没年まで旺盛な執筆活動を続けた。社会復帰はおろか統語能力も失い、生涯を幻覚と妄想のなかで生きる、と診断された状態から回復した。
 入院体験を描いた詩集「戯言集」は夢野久作ドグラ・マグラ」1935に先行する「狂人文学」、しかも患者による記録として特筆される。次回から順を追い紹介するが、いくつかサンプルを挙げる。

×

私は盲目も同然である

四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る

×

私は掘り出された刹那の

芋の如き存在でありたい

×

生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きている事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共

生きている事は 滑稽な事だ
( 『戯言集』1・23・59)