人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ベルイマン「仮面/ ペルソナ」

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今までご紹介してきた映画は大体いやな感じの作品が多いが今回は格別で、18禁ばかりかはっきりと病んでいる。それもどこか胡散臭く、これはアート・ムーヴィーを装ったホラー映画なのではないかと思う。実際、スウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマン(1918-2007)の諸作は生前からそう受け取られてきた面もある。けれん味の強いシリアスな映画作家として黒澤明フェデリコ・フェリーニと並ぶ国際的名声があったが、好色な助平親爺ほど一見渋面の生真面目さを装うものだ。
元々演劇畑の劇作家・演出家だったベルイマンが映画監督に転身したのは1945年の「危機」で、以後は引退作品「ファニーとアレクサンデル」1982まで年1~2作の作品をきちんと製作している。ベルイマンをめぐる環境も良かったのだろう。主演女優には必ず手をつけているが、スウェーデンというのはそれが減点にならないお国柄のようだ。

小粒ながら堅実な作風だったベルイマンがハッタリの強い作家になったのは黒澤明羅生門」1950の影響が大きいと見られる。「第七の封印」「野いちご」「処女の泉」1956~1959といった生と死の意味を問う作品に続き、'神の沈黙'三部作と呼ばれる「鏡の中にある如く」「冬の光」「沈黙」1961~1963が製作される。題材は精神疾患、妄想、自殺、近親相姦、多淫症などを露悪的に扱ったもので、同じ北欧(デンマーク)の先人カール・Th・ドライヤーを誇張させたような作風はここで確立される。そして三部作の次に製作され、ますます過激な60年代後期作品群の皮切りとなったのが「仮面/ペルソナ」'Persona'1966になる。

舞台は海辺の別荘、登場人物はほぼ全編看護婦(ビビ・アンデルセン)と女性患者(リヴ・ウルマン)のふたりだけ。タイトルの前に無茶苦茶なモンタージュがあってこれがどうやら女性患者の無意識の内面を表しているらしい(中盤とラストでも繰り返される)。
女性患者は大女優なのだが、リハーサル中に突然錯乱し失語症に陥ってしまった。療養のために看護婦を伴って海辺の別荘に来た。患者は失語症なので看護婦だけがずっと話している。
徐々に看護婦に患者の人格が乗り移ってきて、患者の精神的抑圧の原因が明かになると同時にふたりの人格は融合する。まあミイラとりがミイラになる話といえばいいだろうか。