人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ヴィーネ「カリガリ博士」1919

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チャップリン作品を除けばサイレント・B/W時代の映画の代名詞となるほどの知名度を誇るドイツ映画。それが「カリガリ博士」'Das Kabinet des Dr.Caligari'で、この映画の世界的ヒットは両大戦間の文化的事件と言ってよい。こんな病的な実験映画がなぜ見世物的ヒットを記録し、現代まで続くサイコ・ホラーの原型となったか。映画辞典を見よう。

カリガリ博士(独・デクラ・1919) 第一次大戦後にドイツに起った表現派様式を取入れた映画としてドイツ映画復興の第一声をあげた。怪奇なカリガリ博士が眠り男セザーレを操る殺人事件の数々は狂人の妄想であった。セットや演技の奇抜さは前例のないもの。ロベルト・ウィーネ監督、ウェルナー・クラウス、コンラート・ファイト、リル・ダゴファー主演。
(筈見恒夫「映画作品辞典」1954)

田中純一郎「日本映画発達史」1975では「表現主義映画『カリガリ博士』」と題して一章を割き、
「これは『ゴーレム』らに通じるゲルマン・ロマンチシズムの傾向を持った一種のニュロティック映画で、当時流行した絵画運動の一つである表現主義的な装置やメイクアップがその効果を助長し、新しい芸術作品にでも接するかのように都会地のインテリ層にはかなり騒がれた。しかし装飾的な背景と生の俳優の演技の不調和が、全体の調和をともすれば破綻し勝ちな欠点を持っていた」
とし、谷崎潤一郎の談話から、
『どうせ彼処まで行くのなら俳優の演技をもっと不自然に、もっと絵画的にさせた方がいい。背景を人間が通るために折角のイリュウジョンが破れてしまう』
「また竹久夢二もこの問題に触れた。しかし題材によってはこの表現方法にも一応の魅力があったので、日本でも細山喜代松の『霊光の岐に』や溝口健二の『血と霊』などでこの方法が試みられた」
と結んでいる。ちなみに「カリガリ博士」日本公開前後のアメリカ映画はグリフィス「散り行く花」、デミル「男性と女性」、チャップリン「キッド」、シュトロハイム「愚なる妻」、キング・ヴィドア「涙の舟歌」等々、映画の父と呼ばれる巨匠たちによってアメリカのサイレント映画は円熟期に入っていた。
古い時代に作られたから古いというだけで、これらのアメリカ映画の古典は感動をほとんど失わない。一方「カリガリ博士」はただの古典でしかない。