人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

次女誕生の記(2001年5月18日)

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次女の誕生は2001年5月18日午前2時半。母の日からすぐ。一昨日バースディ・カードを送った。訪問看護のアベさんに撮ってもらった写真を同封。「ぼく写真は駄目なんですよ」本当にアベさんの撮影は頼りなかったが、本棚の前で膝を抱えているのを選ぶ。
今朝は玄関を開けたらクワガタ虫が飛び込んできた。いい前触れには違いない。

夜の場合は想定しなかった。出産はすぐに迫った。「破水したわ」と妻。長女は熟睡中。「私ひとりでタクシーで行く。あかねをお願い」
送り出して2時間後に産婦人科から電話「素晴らしい安産でしたよ。奥様もお嬢様もお元気です」
妻は長女の時も破水から3時間、まったく無痛だったが、さすがにこれには驚嘆した。
朝に長女を保育園に送ってから産婦人科に行った。この産婦人科では1週間は新生児は保育室なので窓越しに次女を見た。
妻は一晩で6人部屋のアイドルになっていた。もともとチビなので好かれるのだ。「あっ、ひとりでタクシーできた人のご主人がきたわ(笑)」妻は産婦人科中で「ひとりでタクシーできた」ことで話題になっていたのだ。
退院までの1週間、朝は長女を保育園、夕方は長女とお弁当を持って妻と夕食。長女は毎日帰りには号泣していたが最期の2日には泣かなくなって、自分からママに「もう帰るね」と言うようになっていた。妻にとってはそれも寂しかったようだが。おそらくその前日に帰りの二人乗り自転車でどしゃ降りだったので、長女も肝を据えたのだ。
保育室の次女は、窓越しに見ても紛れもなくぼくと妻の娘だった。生後すぐの長女と瓜二つだった。長女はほとんど実感がないようだった。保育園の掲示板には「あかねちゃんにいもうとがうまれました!」と貼られたのに。
長女は里帰り出産だったが次女は近くの産婦人科、タクシーで5分。1週間で戻った。姉は妹を可愛がりもすれば邪魔にもした。あやねはまったく手がかからない子で、むずかることも授乳・ミルクに抵抗することもなく、毎晩ぼくが横抱きで両足を手で包んで寝かしつけた。
「ひとり目はすごく嬉しかったけど」とぼくは妻に言った、「二人目は本当に可愛いね」
「本当に可愛いわ」と産休中の妻は聖母の微笑で答えた。

離婚時の年齢差が長女と次女を分けた。次女とは年に1度誕生日の晩に電話で話す。別れた妻と長女には電話すら拒否される。