人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続・離婚のいきさつ(4)

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妻がばしばし叩いてくるのでぼくは彼女の額をぴしゃり、と一度だけ叩いた。ぼくが彼女に手をあげたのは(叩いたというほどの力もなく、制止した程度だったが)これが最初で最後だった。妻は突然無言になり、出て行った-娘たちも騒ぎで起き出してきた。

ぼくは虚脱状態になり、台所でワインを飲み始めた。電話が鳴り、長女が出たのがわかった。
しばらくして、長女がぼくを呼んだ。「パパ」
ぼくは台所の戸口から娘たちを見た。姉妹とも着替えて、長女は妹の手を握りしめている。
「なんだい?」
「ママが外で待ってるから来なさいって」
「そうか。いいよ」
ぼくは台所に戻った。玄関から娘たちが出ていく物音が聞こえた。これが娘たちとの最後の別れになった。

少し待ってからマンションのエントランスや周辺を探したが妻と娘たちの姿はなかった。翌朝は妻のお弁当は捨て、小学校と保育園にランドセルと通園バッグを届けた。
その晩ぼくの実家から電話があり、もう数週前に妻が離婚の相談をしに来て、保健所に相談し、保健所の勧めで警察署とも相談を進めていたと知った。
ぼくはまだ民事訴訟によるDV指定~協議離婚~DV防止条令違犯による逮捕、という流れが仕組まれていることに気づかなかった。

妻は県内のお兄さんの家にいた。ぼくは妻のお兄さんもご両親も大嫌いだったから、当然電話しなかったのだ。妻が娘たちと戻る条件は、先方で用意しておいたウィークリーマンションに別居することだった。
長女はそれまで小学校を無遅刻無欠席だった-次女も体が丈夫になって毎日保育園で楽しく遊んでいた。娘たちの日常を取り戻すために、ぼくは別居を承諾しないわけにはいかなかった。娘たちの同級生にはベビーシッターを使っている家庭もある。おそらく妻もそうするのだろう。

別居から逮捕までの足どりの前に、次女の肺炎入院の話が途中だった。自宅看護の期間が長かったので、ぼく自身も肺炎を起こしていた。長女は保育園に出せたのでぼくは自分の肺炎で通院点滴を受けた。
入院は24時間看護だったが六時からの夕食は保護者に任された。バスで30分かかる総合病院だった。長女は延長保育を頼んだが、それも七時までだ。30分以内に夕食を済ませ、泣き出す次女を振り切り保育園に向かうと、保育園の灯りは消えていて長女は最後のひとりだった。つらい一週間だった。