人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

夢判断

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12時間も眠ると寝汗がじんわりする。すぐに起き出すと寒いので寝汗が乾くまで待ったが、なかなか乾かない。確か明け方にも寝汗を意識していちど目を覚まし、また眠ったのだった。
その時、布団のなかの自分のからだの汗ばみからふとした連想作用が起こった。それはもちろん起きてから思い出して、あらためて気づいたことだった。夢を見ている時には自分ではそれを意識しようもない。普段はことさら気にかけまいとして心の奥底にしまっていることが、風船に針を刺すように夢に現れたのだ。
それはふたりの女性についての夢で、どちらも今年のぼくにとってつらいままで過ぎ去ったことだった。ここでもすでに断片的に何回か書いたから、あらためて書くのもしのびないのだが、ぼくはどちらの女性にも生涯消えることのない傷をあたえた。ひとりは別れた妻のもとにいる長女で(妻と次女は各々の理由で離婚に納得している)、ひとりはアルコール依存症の学習入院で親しくなり、退院後に不倫関係におちいった(そして別れた)婦人だ。

ひさしぶりに長女の夢を見た。ぼくは小学三年生までしか知らないから(次女は保育園最終年)、夢で見る娘たちは別れた年齢以上にはならない。
長女はこれまでの夢でいちばん若い姿で出てきた。産婦人科から退院、つまり生後1週間だ。夢だけあって実際と異なる点は数々あったが最大の相違点は、里帰り出産だったのが夢ではそうではなく、初めての赤ちゃんではなかったこと(ぼくにも妻にも育児経験があったこと)だった。おそらく次女の誕生の時の喜びとひとまとめになっていたのだろう。
生まれたばかりの赤ちゃんの湿っぽくてぐったりした体温、感触、匂い。思春期から青年時代、ぼくは子供が漂わせるあの甘ったるい匂いが苦手だった。30歳過ぎて自分の娘をさずかってみると、こんなにいい香りの生き物はいないと思われた。たぶん、というか確実にそれは親になった本能による感覚の変化だった。ぼくは長女によって変ったのだ。
妻が娘たちを連れて家出する前の晩まで、長女は一日も欠かさずぼくの隣で眠った。今年の春、長女は中学生になった。父親のいない家庭であること、それに父親が精神障害者(それが離婚の原因)であることは、中学生の長女にとってどんなに負担だろうか。

一瞬交差して、二度と出会わない…もうひとりの女性についても、おそらくは。