人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ヨーコ・オノ

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最近痛感するのはぼくにはブログに限らず標準語(口語的文語と言ってもいい)の文章しか書けないということだ。
いわゆる標準語も関東の方言を加工して全国的に流通させたもので、それも140年経って純粋な標準語も方言もなくなった。標準語の文体に方言の語彙を折衷したものは見かけるが、不自然さは否めない。

なんの話か?ほとんど商業媒体には載らない文体がブログではあちらこちらにあり、まるでバベルの塔のような状態になっているからだ。
そこで思い出すのは、NHKライブラリーのドキュメンタリーで見た、1974年8月に開催された日本のロック・フェスの草分け「郡山ワンステップ・フェスティバル」だ。
これは市民の反対も大きく(ロック=フーテンのイメージがあった時代だ)インタヴュアーはあからさまにフェスのスタッフを馬鹿にした誘導的質問をし、一方市議会委員や反対派にはおもねった態度で接する。

ここまで見て感じるのは、だれもがボソボソした発音で、内容もまとまりがないことだ。そのまま速記したら文章の体をなさないだろう。郡山市民もそうだし、都市からきた20代始めのスタッフもそうだ。そしてカメラの前で落ち着きがない(唯一の例外は主催者で、強い意志できっぱりとしゃべる。90年代にはこの人はフジ・ロックフェスを成功させることになる)

ところがヨーコ・オノの登場で事態は一変する。おそらく交渉が行き詰まり、内田祐也から協力の要請があったのだろう。
三井財閥ご令嬢であります、小野洋子様から強い申し入れがありまして」
と汗を拭きながら市議会委員会議、「みなさん開催許可でよろしいでしょうか?」満場一致で可決。
ヨーコ・オノの来日スピーチになる。「わたくし郡山は初めて知る地名ですけれど、こうした地方都市でフェスティバルが開かれるのは実に素晴らしいことだと思います」

このヨーコ・オノが目が覚めるようだった。スピーチにふさわしい落ち着いた服装、すらりと伸ばした背筋、明瞭な発音と発声、きっちりとした伝達。
要するにこのドキュメントに出てくる日本人は、身内にしか通じないジェスチャーまじりの言葉しかしゃべれないのだ。40年近く経つとほとんどなにを言っているのか聞き取れない。
ヨーコ・オノの40年前の日本語ははっきり聞き取れる。なるほど。洋子さんが日本では疎まれてきたわけだ。