アンジュ、ゴング、マグマ、カトリーヌ・リベロ+アルプに次いで、前回準A級のトップにエルドンを持ってきたのは筆者の趣味でもあるが、前記の巨匠たちとは音楽的にまったく異なるからでもある。ピュルサー、アトール、モナ・リザ、タイ・フォンなどはだいたいアンジュから派生した。エルドンと並ぶ突然変異にワパスーがいる。この連載は(6)ピュルサー&アトール、(7)モナ・リザ&タイ・フォン、そして(8)ワパスーで完結予定だ。
実は日本のロック愛好家にはアンジュとリベロ+アルプは今一つ人気がなく、マグマとゴングに突出した人気があり、次いでアトールとピュルサーだと思われる。マグマとゴングは70年代から日本盤も出ており、アンジュも出ていたがセールスは下回っていて、リベロ+アルプは日本盤は出なかった。
アトールの日本デビュー作「組曲『夢魔』」は「フランスのイエス」のキャッチ・コピーで発売され、先輩ピュルサー(こちらは「フランスのピンク・フロイド」)の「終末の浜辺」を凌駕してフランスのロックを聴かないリスナーにも売れた。ここでこの2組の70年代作品を挙げてみよう。
ピュルサー
○ポーレン(1975)
○終末の浜辺(1976)
○ハロウィーン(1977)
アトール
○ミュージシャン-マジシャンズ(1974)
○組曲「夢魔」(1975)
○サード(1977)
この後80年代にどちらのバンドも1枚ずつ出して解散する。だが90年代に復活し10年1作ペースで活動している。
なにしろ全盛期のアルバムが3作ずつだからどれも代表作、あとは好みで、と言ってよいが、ピュルサーなら「ハロウィーン」(画像1)、アトールなら「組曲『夢魔』」(画像2)で決まりだろう。長所短所ひっくるめて他のアルバムも捨てがたいのだが、実力以上にマジックが働き冴え渡ったのがこの2作といえる。
ただし「ハロウィーン」と「組曲『夢魔』」は対照的な運命を辿ったアルバムだった。アトールのアルバムは出世作となり、ピュルサーはまったく反響を呼ばずバンド解散への原因となった。どちらも今では70年代フレンチ・ロックの金字塔とされる名作なのだが。