人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病名の進展、その他のエッセイ

(1)ぼくも診断名の変遷はほぼ同じです(ぼくは双極1型ですが)。ストレス性の強迫性障害鬱病躁鬱病、と、これは躁鬱病が判明していく一般的なパターンのようです。
3週間後くらいに載せる記事にも書きましたが、精神医学は100人医師がいれば100通りの診断が出ると現場の精神保健士もその手の本にも発言があります。現代では主流の薬物療法も脳生理学的な根拠はあっても決定的な治療法ではないでしょう(決定的とはリスクの高さと隣り合わせです)。電気ショックや前頭葉手術の時代が過ぎただけましです。
宗教的戒律については、それこそリージョン・コードというべきか、具体的なコメントは慎みます。学校給食だってヴェジタリアンだって戒律です。完全な食の自由なんてない、とすら思います。

(2)自分自身についていえば、クリスチャンであることで得られる特権はない、と考えています。パウロ書簡は聖書中の精神医学文献として研究対象になっていますが(古代でも躁鬱病が確認できる例として)パウロの人生は一般的な見方では悲惨なものでした。信仰には出発点はあっても到達点はないでしょう。ぼくも常に経過の中にいます。

(3)退院おめでとうございます。ご心配とは思いますが、統合失調も躁鬱も重篤化はほんの一部です。両者の合併症は起こり得る、と入院時に医師から伺いました。躁鬱の患者に、一過性の統合失調樣症状が見られるのもよくあるそうです(入院時のぼくがそうでした)。直接の知人・友人を含めて、ぼくの見聞ではむしろ鬱病躁鬱病よりも統合失調症の方が薬物治療の効果による寛解の維持は得やすいように見えます。鬱病躁鬱病では薬物治療の効果はサプリメント程度としたら、統合失調症では薬物治療は抗生剤くらい効果がある、ということです(あくまでも私見ですが。ぼくの友人・知人の統合失調症の人たちなどはとても精神疾患には見えません)。これも私見ですが、長期入院せざるを得ないのは不幸にして薬物治療の効果が見られず症状が慢性化した人たちのように思えます。全体から見ればごく一部の、気の毒な方々です。
ぼく自身が躁鬱病ですが、同時に人格障害としてシゾイド障害の診断も受けています。統合失調の因子もあるということです。統合失調の慢性状態では読み書きは不可能です。あまり心配なさらなくても、と思います。長文失礼しました。