日本でもそうだったのだがまずフォーク・シンガーが人気となる土台ができて70年代ロックが始まった、という流れがある。イタリアではソロ歌手はカンタウトーレと呼ばれて大変な尊敬を受ける。さすが音楽大国出知られる国、歌の国だけある。
イタリアでも日本でも英米のビート・グループのコピーが全盛の時代が60年代いっぱい続き、新しいロックはフォークを通過したものが大半だった。ビート・グループのコピー時代はコピー以上のものを生み出さなかったとされた。
ようやく80年代になって各国ビート・グループ(早い話GS)の再評価も進む。が、60年代ロックの多くは商業的制約が先攻したものなのは否めない。
やがて反体制的なフォークが現れると硬派のミュージシャンは最初はフォーク・シンガーのバックで、次第に次々とフォーク的な反体制意識を持つロックバンドが結成されていった。
そうした触媒的フォーク・シンガーのなかで、唯一無二と言っても過言ではない最大の存在がルチオ・バティスティ(1943-1998)だった。デビューは1966年、元々は伝統的歌謡界の人だったが、ボブ・ディラン(実際に「イタリアのディラン」と呼ばれた)に触発されてアーティストの主体性を重んじるフォーク・シンガーへと変貌し「8月7日午後」1970(画像1)を発表する。バック・バンドは後にフォルムラ・トレとプレミアータ・フォルネリア・マルコーニになるメンバーの混成で、いわばこのアルバムがイタリアのロック・シーンを作ったのだ。日本で言えば高石友也(+ジャックス、五つの赤い風船)、岡林信泰(+はっぴいえんど、柳田ヒログループ)、吉田拓郎(+新六文銭)といったところだろう。どのシンガーもボブ・ディランがザ・バンドを起用してロック路線の転向に成功したことにならっている。
ミュージシャンによるレーベル設立も起こった。これも旧来のミュージシャンの立場では考えられなかったことだ。バティスティもヌメロ・ウーノ(ナンバー・ワン)を設立、トレもプレミアータもこのレーベルからデビューしている。
最初からロック・シンガーとしてデビューする例も起こった。アラン・ソレンティ「アリア」1972(画像2)、クラウディオ・ロッキ「魔術飛行1」1971(画像3)はサイケデリックの名作アルバムとして挙げられる。こちらは遠藤賢司、南正人といったところか。