人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

荒廃した人びと・前編(連作23)

(連作「ファミリー・アフェア」その23)

裁判は茶番だった。粛々と被告人席に立ったが、人の裁きは処世でしかなく、公平なのは神の裁きしかない。検察官はこの件とは関係がないぼくの獄中からの娘への誕生日カードまで得意げに持ち出してかえって裁判長から厳重注意を受け、弁護人は接見時の態度からはがらりと変って縮こまっていた。裁判長はまだしも検察官と弁護人の小人ぶりには苦笑どころか軽蔑の念すら感じた。
信仰から離れていた人間が闘病や生活苦によって再び信仰に救済を求める、というのはよくあることだが、ぼくの場合はどうか?ヤコブやヨブの受難、殉教者ヨハネパウロに較べればぼくなどどれほどのものだろう。これが主の愛なんだ(と獄中で眠れない夜に考えた)、ぼくは今試されているんだ。これは与えられた試練なんだ。

それがぼくの強みであり弱みでもあった。殉教者コンプレックス、という言葉が適切かどうかもわからない。他人のため、信仰のために常に命を投げ出す覚悟-バイブルはそんな話ばかりだ。幼児の頃から聖書物語を与えられ、刷り込み教育になっていた。自分もそうありたい、と思った訳ではない。ただし自分が理不尽な暴力を受けた場合はどうだろう?
それまでの過去五年間で7、8件の暴行を受けた。ぼくは売られた喧嘩は買わない。抵抗も謝罪もせず、相手が気が済むまで殴らせる。こんなことにももう慣れていた。
留置場と拘置所で同房者に暴行を受けた他にも4件ほど思い当たる。そのうち一度は入院中の同病棟の患者からの暴行で、看護師から幻聴(妄想ではなく)によるものだから大丈夫(と言われても…)と説明された。よぼよぼの患者なので形相の割に大したことなく手首をつかんで押さえこんだが(被害者はぼくばかりではなかった)これは病気だから仕方ない。結婚生活中に2件、離婚後に1件、通りすがりに暴行を受けた。

一度目は大型スーパーの駐輪場でいきなり後ろから突飛ばされた。並んだ自転車を整理して自分と妻の自転車を置こうとしていた時だった。
「触るな」と言われて振り向くと電化製品の箱を抱えた初老の男だった。「勝手に触るな」
ようやくおきあがって、そんなことで突飛ばしたのか?と問い返したが、老人は荷台に箱を括るとそのまま去って行った。妻も娘たちも茫然としていた。ぼく自身もその日は衝撃が治まらなかった。