さて、T.S.エリオットの現代詩の古典「荒地」'The Waste Land'1922の続き。いきなり原文の引用から始めると面食らう人も多いだろう。全5章に分かれる全433行の長編詩の第1章もいきなり『埋葬』'The Brurial of the Dead'という縁起でもないタイトルなのだ。冒頭4行を引く。実に嫌な感じに(しかも軽快に)動詞で改行して脚韻を踏む技法にも注目してほしい。
April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
(西脇順三郎訳)
訳文はあえて改行の効果よりも断定的な文体を選んでいるが、日本語としてはそれもありだろう。他の人の訳では改行の技法を生かそうとして原文の攻撃性を減じてしまったものが多い。この冒頭4行の「死と復活(破滅と再生)の呪縛」というモチーフが全編に渡って繰り返され、最終章は、
Datta. Dayadhvam. Damyata.
Shantih shantih shantih
というサンスクリット語の祈祷で結ばれる(-「捧げよ。同情せよ。自制せよ。/平和あれ。平和あれ。平和あれ」この詩は50か所に作者の註釈があり、「シャンティ」はインドの聖典『ウパニシャッド』に基づく心の平和であり、英語表現では「理解を超越する平和」に当る、とある)。
この詩の冒頭の春の不吉さの指摘は、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と始まる梶井基次郎の短編小説『桜の樹の下には』1928、さらに梶井作品へのオマージュである坂口安吾の『桜の森の満開の下に』1947を連想させるだろう。どちらもエリオットなど知らずに書かれたのが偉い。共通しているのはボードレールに由来する悪の感覚で、ボードレールとエリオットはカトリックだから当然だが、むしろ直感で東洋思想に直結した梶井らの方が気味が悪い。
まだ話は終らない。明日も「荒地」の続き。画像は上からエリオット、梶井、安吾の遺影。