人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(12); 北村透谷『楚囚之詩』(iiiiii)

北村透谷(門太郎)・明治元年(1868年)12月29日生~明治27年(1894年)5月16日逝去(縊死自殺、享年25歳)。明治26年=1893年夏(24歳)、前年6月生の長女・英子と。

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 今回で第6回になる『楚囚之詩』のご紹介ですが、1章ずつひも解いているうちにだんだんややこしくなってきました。『楚囚之詩』全編はまず第1回に一挙掲載しましたが、残り第十四章~第十六章の前に、前回までに読んできた第一章~第十三章の概要をまとめてみました。ここまでを踏まえて、次回で第十四章から先に進みたいと思います。今回はまるで学生のレポートみたいな内容ですが、物が物だけにご了解ください。これだけ書くにも半日かかったのです。訂正したい箇所を見つけたら次回に送り、とりあえず今回はこれでご勘弁を。では。

●第一章「曽(か)つて誤つて法を破り/政治の罪人として捕はれたり~」*8行
・序詩。革命(反体制運動)を企てた政治犯として婚約者を含む同士と共に投獄されている現状を語る。韻律・脚韻構造も4行+4行と簡明。冒頭2行から「順法主義者の政治犯」という語り手「余」の奇妙な政治的立場が示されているが、法的抗争という発想がまったくないことが前提という奇妙な設定に留意。

●第二章「余が髪は何時(いつ)の間(ま)にか伸びていと長し~」*24行
・前半14行のソネットは語り手「余」の監禁状態の心身の苦しみを具体的に、後半10行は救世のための政治活動で捕縛された不条理を詠嘆するが、具体的な逮捕・拘禁の理由についてはここでも詳述されない。法を破らなければならないほどの政治活動に、司法自体への疑問が語られない不自然がある。

●第三章「獄舎(ひとや)! つたなくも余が迷い入れる獄舎は~」*28行
・冒頭6行で獄中の描写、続く6行で同じ獄中には同事件4人の政治犯が拘置されている(第一章にある通り、語り手「余」はその「首領」)と明かされる。後半は8行で過去の果敢な政治活動の回想、結尾8行で志を一つとしながら会話すら禁じられている拘禁状態の苦悩を語る。「自序」にある通り現実の法的手順、収監施設を写したものではないにせよ、組織犯と判明しているものを同房に拘置するとはあまりに荒唐無稽で、詩的効果としても疑問。

●第四章「四人の中にも、美くしき/我(わが)花嫁……いと若き~」*30行
・冒頭6行は同じ獄中にいる4人の囚人の中の婚約者のやつれた姿の描写。次の6行は二人で上京してくるまでの道行の回想、続く8行は婚約者との純愛を語るが、末尾10行(韻律・脚韻構造は4行+2行+4行)で同じ獄中に拘置されながらまるで世界を隔てられているようだ、と嘆く。ここでも政治活動の内容については触れず、美文調で回避した印象を受ける。

●第五章「あとの三個(みたり)は少年の壮士なり~」*28行
・冒頭14行はソネットをなし、同じ獄中の4人中婚約者以外の3人(つまり語り手「余」は4人に含まれない、と初めて明確になる)は自分の部下の少年の政治活動家であり、かつての無邪気な雄姿に対していかに悲惨な監禁状態にあるかを嘆く。第三~四章の4人は語り手「余」を含まないとすると、第三~四章の痛切さが一気に薄れてしまう。明らかに作者の計算ミスが見られる。「斯く云ふ我が魂も~」からの後半12行は語り手自身の失意が語られ、「嗚呼爰(ここ)は獄舎/此世の地獄なる」と2行の終結部で締め括られる。

●第六章「世界の太陽と獄舎(ひとや)の太陽とは物異(かわ)れり~」*19行
・この章から短章化の傾向が見える。冒頭1行で提示した外界と獄中の対比をソネット形式の中間部14行で月光に託して詠い、末尾4行(2行+2行)の対句的表現で絶唱する。

●第七章「牢番は疲れて快(よ)く眠り、/腰なる秋水のいと重し~」16行
・末尾2行は結句。ソネットをなす14行の本文は刑務官の眠っている目を盗んで獄中の婚約者の寝姿に見入り、ふと窓の下で足を止めた。そこで結句「もれ入る月のひかり/ても其姿の懐かしき!」と前章に続く月光のモチーフに帰る。この章までは韻律・脚韻構造は比較的平易だが、次章から各段に複雑化する。

●第八章「想ひは奔(はし)る、往(ゆ)きし昔は日々に新なり~」*16行
・前章に続く短章。韻律・脚韻構造は10行(5行+5行)+6行(3行+3行)。月光に誘われた追想(5行)に「思へば、余は~」と我に帰る5行を対比させながら「菊の香」を提示し、結句6行(3行+3行)で月光に代わる「菊の香」のモチーフの念を押す。獄中でも現前にある月光よりもさらに追想のニュアンスの強い「菊の香」に想念が移ったことに注目。

●第九章「またひとあさ余は晩(おそ)く醒め~」*15行
・大事件発生の短章。同じ獄中の自分以外の4人が一夜にしていなくなっている。4行(2行+2行)+5行+4行+2行の不規則律と強引な脚韻で動揺を示す破調の効果を狙った章。

●第十章「倦(う)み来りて、記憶も歳月も皆な去りぬ~」*12行
・序詩である第一章に次ぐ短章。韻律・脚韻構造は4行+4行(3行+1行)+4行でA+B+'Aとブルースのような循環形式になっている。時間も月日の観念も朦朧とした消耗状態に、ただ監禁の苦痛だけが残る。前章同様、突然獄中から消えた4人(婚約者含む)の消息への心配がまったく触れられないのに注意。

●第十一章「余には日と夜との区別なし、/左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし~」*23行
・逮捕拘禁(第一章)、仲間との隔離(第九章)に続く第3の事件。窓から獄中に蝙蝠が飛来してきて、恋人の思いが宿って来たのかと思う。韻律・脚韻構造は4行+5行+6行(2行+4行)+8行(4行+4行)と単位が増加していき、後半はスタンザの区分のない自由詩型に接近する。最終連8行(4行+4行)の「~獄舎の中を厭はず、/想ひ見る!~」と副詞節で改行する手法は大胆。結句は「余は蝙蝠を去らしめず」と未完で次の章に展開する。

●第十二章「余には穢(きた)なき衣類のみなれば、/是を脱ぎ、蝙蝠に投げ与ふれば~」*19行

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・全19行はほとんど散文改行体で書かれ、3字下げの末尾3行までの10行は行末「~ば、」で不規則に脚韻を踏む文語自由詩。無柳の慰めに衣類を投げて蝙蝠を捉えはしたが、すぐに虚しくなり放してやると蝙蝠は飛び去り獄中はまた「余」一人になった、という、前章と前後編をなす物語詩的な章。この内容を韻律と脚韻を揃えて書くのはさすがに無理で、さらに草双紙風挿絵も添えられており、視覚的描写に自信がなかったとも思わせる。

●第十三章「恨むらくは昔の記憶の消えざるを~」*20行
・6行(1行+5行)+4行(2行+2行)+7行(1行+5行+1行)+3行と、非常に破調ぎりぎりの文体が目立つ、不可遡的韻律構造を持つ章。再び一人きりになった獄中で故郷に思いを馳せ、記憶の中では故郷は確かに今もあるのだ、と納得しようとするが、むしろ外界と断絶された状態での錯乱の方が印象に残る。破調と見えるほど複雑な韻律構造で意図的に語り手の錯乱寸前の精神状態を反映させたなら成功したが、伝達内容は乏しい埋め草的な章にも見える。

『楚囚之詩』明治22年(1889年)4月9日・春洋堂刊。四六判横綴・自序2頁、本文24頁。

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   第十四
冬は厳しく余を悩殺す、
壁を穿(うが)つ日光も暖を送らず、
日は短し! して夜はいと長し!
寒さ瞼(まぶた)を凍らせて眠りも成らず。
然れども、いつかは春の帰り来らんに、
好し、顧みる物はなしとも、破運の余に、
たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする、
余は獄舎(ひとや)の中より春を招きたり、高き天(そら)に。
遂に余は春の来るを告げられたり、
鶯に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!
知らず、そこに如何なる樹があるや?
梅か? 梅ならば、香りの風に送らる可(べ)きに。
 美くしい声! やよ鶯よ!
余は飛び起きて、
 僅に鉄窓に攀(よ)ぢ上るに――
鶯は此の響きには驚ろかで、
 獄舎の軒にとまれり、いと静に!
余は再び疑ひそめたり……此鳥こそは
 真に、愛する妻の化身ならんに。
鶯は余が幽霊の姿を振り向きて
 飛び去らんとはなさずして
再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!
 余が幾年月の鬱(うさ)を払ひて。
卿(おんみ)の美くしき衣は神の恵みなる、
卿の美くしき調子も神の恵みなる、
卿がこの獄舎に足を留めるのも
また神の……是(こ)は余に与ふる恵(めぐみ)なる、
 然り! 神は鶯を送りて、
余が不幸を慰むる厚き心なる!
 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、
余が身にも……神の心は及ぶなる。
思ひ出す……我妻は此世に存るや否?
彼れ若(も)し逝きたらんには其化身なり、
我が愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや?
若し然らば此鳥こそが彼れの霊(たま)の化身なり。
自由、高尚、美妙なる彼れの精霊(たま)が
この美くしき鳥に化せるはことわりなり、
斯くして、再び余が憂鬱を訪ひ来たる――
誠の愛の友! 余の眼に涙は充ちてけり。


   第十五
鶯は再び歌ひ出でたり、
 余は其の歌の意を解き得るなり、
百種の言葉を聴き取れば、
 皆な余を慰むる愛の言葉なり!
浮世よりか、将(は)た天国より来りしか?
余には神の使とのみ見ゆるなり。
嗚呼左(さ)りながら! 其の練(な)れたる態度(ありさま)
恰(あた)かも籠の中より逃れ来れりとも――
  若し然らば……余が同情を憐みて
  来りしか、余が伴(とも)たらんと思ひて?
鳥の愛! 世に捨てられし此身にも!
鶯よ! 卿(おんみ)は籠を出(い)でたれど、
 余は死に至るまで許されじ!
余を泣かしめ、又た笑ましむれど、
 卿の歌は、余の不幸を救ひ得じ。
我が花嫁よ、……否な鶯よ!
 おゝ悲しや、彼は逃げ去れり
 嗚呼是れも亦た浮世の動物なり。
若し我妻ならば、何ど逃げ去らん!
余を再び此の寂寥に打ち捨てゝ、
この惨憺たる墓所に残して
――暗らき、空しき墓所――
其処には腐れたる空気、
湿りたる床のいと冷たき、
余は爰(ここ)を墓所と定めたり、
生きながら既に葬られたればなり。
  死や、汝何時(いつ)来る?
  永く待たすなよ、待つ人を、
  余は汝に犯せる罪のなき者を!


   第十六
鶯は余を捨てゝ去り
余は更に怏鬱に沈みたり、
春は都に如何なるや?
確かに、都は今が花なり!
 斯く余が想像(おもい)中央(なかば)に
久し振にて獄吏は入り来れり。
遂に余は放(ゆる)されて、
大赦大慈(めぐみ)を感謝せり
門を出れば、多くの朋友、
 集ひ、余を迎へ来れり、
中にも余が最愛の花嫁は、
 走り来りて余の手を握りたり、
彼れが眼にも余が眼にも同じ涙――
 又た多数の朋友は喜んで踏舞せり、
先きの可愛ゆき鶯も爰(ここ)に来りて
 再び美妙の調べを、衆(みな)に聞かせたり。

[『楚囚之詩』完 ]