人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

眠れる森4・前編(連作37)

(連作「ファミリー・アフェア」その37)

彼女とは始まりも早かったが(彼女のように年齢相応の経験がありながらまったく性的には未熟というのがぼくにはしばらく信じられなかった)、終りも唐突だった。もう小学校の夏休みも近づいてきて、当分会えないね、と話していた矢先だった。夕方彼女から電話がかかってきた時点で予想はついた。
「もう会えません。ごめんなさい」
「なるほど。わかった」
「主人に代わります(彼女はいつも自分の配偶者を主人、と言った)。いいですか?」「どうぞ」

会話は短かった。車のメーターを調べて携帯電話のメールや通話履歴もチェックした。
「さすが面白いメールを書きますね。本職の人だけある」
「そうですか」そんなことまで聞き出したのか。
「もう会わないでくれませんか。家庭が壊れちゃう」「はい。わかりました」「では家内に代わります」
彼女が精一杯なのは声を聞くまでもなかった。今いちばんつらい立場なのは彼女なのだから。
「もしもし、私です」「うん。大丈夫かい?」「ごめんなさい」「いいんだよ。今は何も話さない方がいい」「もういいですか?」「いいよ。さよなら」

翌日にまた彼女から電話があり(先にメールで、彼女ひとりなのは知らされていた)、
「昨日はごめんなさい。あなた、誕生日だったのに」「謝ることはないよ。ぼくも謝りはしない」「そうね…」
彼女はご主人の最近のお嬢さんたちへの八つ当たりや(「お前らなんか死ね、と娘たちに怒鳴るのよ。死にたくなる、って娘たちが泣きついてくる。私の顔色をうかがって、私の前では優しい態度をとってる」)、車のメーター調べや携帯の盗み読み(ぼくとのことがある以前からそうしていたことも判明した)、彼女の作ったお弁当を捨てているらしいこと(彼女は細菌学者だったから!)…そして彼女にはレイプとしか感じられないセックスのことを訥々と訴えた。ぼくがプレゼントした本やCDもメールでバレていたから捨てられてしまった(「覚えているから買い直すわ」「またもめないか?」「大丈夫よ。本も音楽も興味ない人だから。今日もパチンコ行ったから電話してるのよ。半日帰ってこないから」)。

夏の終りまで待ってね、と彼女は言った。その時は彼女の言葉を信じた。
夏の終り、彼女からメールが来た。「もう終ったことです。この先もありません」。