人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(47h)ジミー・スミス(org)

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Jimmy Smith(1925-2005,organ)。
56~58年に20枚のアルバムを吹き込んでいるとはいえスミスが消耗しなかったのは、最初から自分のトリオを持ったリーダーで、他のジャズマンのサイドマン参加を課せられなかったからだろう。大概のジャズマンは所属バンドがあっても掛け持ちする。所属バンド専業では食えないからだが、ジミー・スミス・トリオはその必要がなかった。

ドナルドソンとの'Rockin' The Boat'62.2.2(4141),タレンタインとの'Pretty Meetin''63.2.8(4164)を挟んで4200番というまたもやキリのいいレコード番号で発売された、
Softly As A Summer Breeze(画像1)57.2.13/58.2.26
-は拾遺アルバムで、アルバム5枚半を録音した57年2月セッションの残り2曲(レギュラー・トリオ)と、アルバム半分相当の58年2月のスペシャル・トリオ(ケニー・バレル=ギター、フィリー・ジョー・ジョーンズ=ドラムス)の4曲からなる。素晴らしいスタンダード集で残り物めいた感じはしない。これを出し惜しみしていたレーベル側の思惑が気になる。

案の定スミスは大手レーベルへの移籍が決っており、ブルーノートへの残り4作「オープン・ハウス」「プレイン・トーク」(前回で触れた),'Bucket!'62.2.1(4235、トリオ),'I'm Movin' On'63.1.31(4255、トリオ/グラント・グリーン=ギター)は消化試合か置き土産のようなものだった-とはいえ、渋い3管セクステットの「オープン~」「プレイン~」(同日録音)、トリオの2作とも十分聴きごたえはある。契約上移籍が決った時点で小出しにしていくアルバムをストックしていたのだろう。タレンタインとの「プレイヤー~」発売の時点で新作録音は底をついていたのだ。

大手ヴァーヴ移籍後のスミスは大スターとしてステージを上昇した。もはやトリオで納まる器ではなく、ラロ・シフリン編曲のビッグバンド作品'The Cat'64(画像2)、オリヴァー・ネルソン編曲の'Jimmy & Wes/The Dynamic Duo'66(画像3、ウェス・モンゴメリー=ギターとの共演)を代表とするエンタテインナーになった。ジャズ的にはともかく、これはこれだ。