人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

牛丼とラーメン(1)

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これが「セックスと躁鬱」の話題だと実に反響が割れる。もちろんこんな不景気ブログだからいつもよりコメント多いな(このブログはコメント0の日もよくある)という程度で、賛否両論とはいえ訪問件数からすればいわゆるサイレント・マジョリティ層が大半なので、統計的な精度はまるでお話にならない。
簡単にいうとセックスや躁鬱病について書くと興味を持って読んでくれる人がいる。その一方で激しい拒絶反応をコメントしてくれる人もいる。さらに「セックスと躁鬱病」を関連させた文面では顰蹙どころか嫌悪感さえ感じる人もいるようで、それまで訪問してくれていた人が来てくれなくなることもあった。

ブログ全体ではセックスも躁鬱もそれほど記事にすることはなく、むしろメインはジャズと詩のブログという至って地味な高校の文芸部的作文が並ぶのだが、だからかえってセックスや躁鬱病の題目は悪目立ちするのだろうか。
ジャズと詩の他に、映画の感想文を載せていた時期もあった。これはしばらくして止めた。映画が好きな人は意見があわないとすぐムキになるのだ。テレビ放映の映画を楽しんでいる、というだけで怒りを買ったりもする(CMの中断やテレビ放映用カット、吹替えで映画を見るのはもっての他らしい)。

ネット上でも本や音楽のレヴューでは評価はあまり割れないが(一定以上の評価をする人しか書かない、というのもあるだろう)、映画となると「金返せ!」から「最高でした~」まで暴力的な意見が並ぶ。映画は人を過剰に感情的にさせるようだ。
娯楽性と作品性の尺度は人それぞれだが、本や音楽なら時間をかけた理解、という判断が極端な断定を保留させる。演劇となると一回性は自明だからこれも断定は避ける。映画は完成品として観賞されるが、観賞自体は一回性の高いものだから、ユーザー個々が直感的な好みに固執した評価を断定してしまうのだ。

「映画は戦場だ」と言った映画監督が昔いたが、往年の一般的な映画鑑賞のおおらかさ(映画というだけで嬉しかった)に較べて、今日映画鑑賞で求められている刺激はセックスか精神錯乱のようなものだろう。同時ならなおいい。当然ユーザーの嗜好で評価はまっぷたつに割れる。セックスも精神錯乱も型のきまった、しかし一回性のものだからだ。
その点牛丼とラーメンはいい。牛丼は牛丼、ラーメンはラーメンでしかない。