なんだか、キティちゃんのちゃぶ台にピントが合ってしまったが、今朝になり昨日の採血箇所の絆創膏をはがしてみたらこんなに内出血がひどかった。打つ人たちがバレないように隠れたところに打つ理由がよーくわかった。こんな具合に跡が残るなら、内出血の痕跡が消えるまで一週間はかかる。そうすると離れたところに打たなければならないから、まあファッションではなく職種でタトゥーを入れている人たちと同じで、日常では隠さなければならない(真夏でも長袖)。こんなにひどい採血跡が残ったのは初めてだ。次回からの採血前にはスポーツ飲料をがぶ飲みして行こう。
(ぼくは拘置所で麻薬犯の雑居房にも入れられたが、せっかくの機会だからもっと話を聞けばよかった)。
ところで過去一年で「金輪際」という言葉をお使いになった方はおられるだろうか?例えば日常的には「金輪際お断りします」などが代表的用法だろう。これは世俗的には否定語の副詞節で「絶対に~」「断固として~」程度の意味で使われるが、由来は仏典にある。大地の底の160万由旬で世界を支える巨大な環のありか、つまり地底の最低辺を「金輪際」と呼ぶ。この語を使って、対照的な名作となった俳句と短歌がある。
・金輪際わりこむ婆や迎鐘
(「川端茅舎句集」昭和8年)
・金輪際夜闇に根生う姿なり五重の塔は立てりけるかも
(「白南風」昭和9年)
後者は北原白秋(1885-1942)のあまり知られない名歌で、夜景にどっしりそびえ立つ五重の塔は地の底まで根をおろしているようだ、と散文化するとあっけないが、上五の「金輪際」が効いている。実際は六音なのだが、n音とi音の重複で音律的な緊迫感がある。
川端茅舎(1897-1941)の句は迎春の鐘突きではなく、京都のお盆の「迎鐘」という行事の風景。断固として行列に割り込む老婆の迫力を「金輪際」と戯画化している。白秋と茅舎は偶然同時期に互いの作品を知らず「金輪際」の名作を書いたわけだが、この語を用いた日本の詩歌作家は後にも先にも思い当らない(高橋新吉にはあるかもしれない)し、今どきこんなレトロな語を上手く使える詩人もいないだろう。
ところでぼくはこないだの日曜に映画を観に行って以来、金輪際寝起きのつらい腰痛に悩まされているところだ。本当に地の底みたいにつらくて起きられない。