人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

最近のリコメントより

(その1)
「忘れられた皇軍」の再放送は難しいと思いますが、この作品をもっとも重視し詳しく紹介した本は佐藤忠男大島渚の世界」で、文庫化もされていますからお近くの図書館にあると思います。
テレビ放映は大島渚一周忌を兼ね「人と作品」という構成で、小山明子未亡人の談話やニュース映像で後日談も混えていました。その後も大島氏は全員と年賀状を交し、80年代には皆故人となり、90年代には遺族会により最高裁まで上ったが棄却。大島氏は喪章姿で傍聴し、判決に「公正でない法は変えるべきだ!」と激怒していました。氏は中年期以降別人のように柔和になったそうですが、信条は曲げなかったわけです。
先日の生活保護法案で、某サイト掲示板では在日人は受給資格撤廃、または強制送還という意見が95%。ですが在日人も納税者(生保受給者も消費税は納税)です。「忘れられた皇軍」当時より更に、日本人の旧植民地蔑視は悪化しているとすら思えます。
映像的には「戦場のメリークリスマス」の原型といえる手法が頻出し、その一貫性に驚嘆しました。一言でいえば行進と演説と「顔」の映画です。あの映画が坂本竜一の顔(昔は佐藤慶)、たけしの顔(昔は小松方正)を必要とした理由がわかります。

(その2)
「三位一体」はキリスト教でも難しい概念で、十全にお答えできたか心許ありませんが、一応知識にあり理解している範囲では、ピラトの審問に対するイエスの返答がポイントになっている、と思います。これは従来訳の時代でも定説で、アブラハムの挿話を始め「信仰の証に父が長子を贄にできるか?」という主題が旧約聖書では反復され、新約はついに主がイエスを長子と定めて贄にすることで三位一体が達成され、神から直接に人に信仰を糾すという構図が昇華(解消)されます。ですから「聖☆おにいさん」のジーザスは(笑)刑死して復活し三位一体が実現された後のジーザスということになります。
嵐のコンサートに行くジーザスと仏陀の話は、ジーザスが側近の聖人の一人からチケットを譲られるのですが(あの作品ではカトリックプロテスタントは同居してますね。プロテスタントには聖人や聖女崇拝はありません)、一番ウケたのは
(以下60文字抗議のコメントにより抹消)