人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

階段から転落後

イメージ 1

イメージ 2

階段から転落した後遺症で今日も腰痛がまだひどかったせいか、天候が良いからつい洗濯物して激しく後悔(腰痛時には避けるべき)、少し駅前一周の買い物しただけでも疲労がひどく、底冷えするので日没間もなく早めの夕食とったら体が少しは暖まり、同時に眠気がどーっと来て寝てました。いつもの更新はこれからでは無理なので言い訳の文章でも載せようと思います。それがこれです。

前日夕方アップのあの記事は、ウィキペディアで「風流夢譚事件」を調べれば詳しくわかります。60年(昭和35年)の国民的な安保反対運動が民衆蜂起にエスカレートして皇居を襲撃し、天皇家を虐殺する顛末をブラックなコメディ(夢オチ)風に描いた小説で、そんなものが堂々と「中央公論」に発表されたのです。
作者の深沢七郎は姥捨て小説『楢山節考』で「中央公論」の懸賞小説グランプリを審査員の正宗白鳥武田泰淳三島由紀夫の三人合意でぶっちぎりで獲得し、長老・正宗白鳥に至っては「人生の書」とまで絶賛しました。なにしろデビュー作から破格の作家でした。先の記事で触れた「スッテンコロコロ」(笑)というのは『風流夢譚』を読んだ人なら忘れられないフレーズです(深沢七郎は40歳で小説家になるまで流しのギタリストでした)。

ついでに触れると、大島渚の上映中止映画『日本の夜と霧』(61年2月14日から3日間で公開中止措置)も思い併せて、『風流夢譚』60年11月発表、『セヴンティーン』『政治少年死す(セヴンティーン第二部)』60年12月・61年1月発表、そして『日本の夜と霧』61年2月公開。鋭敏な作家たちによって時代に要求されているものが創作され、発表され、求められているものだったあまり大きな反響を呼び、ゆえに禁止措置を受ける。たかだか50年前とも言えるしまだ50年しか経っていないとも言える。少なくともあの時問題になったことは作品の隠蔽という表面的な解決で棚上げされ、今も本質的には未解決のままでいる。そしてこのままなかったことにしていくのがわれわれの国民性です。学生時代にわざわざ図書館で読んでからもう30年以上経っていますが、30年経っても抹殺されたままだとは考えもしませんでした。唯一『日本の夜と霧』がソフト化されただけです。機会があればどうぞ。DVDで定価でも3000円以下、ネット通販なら2000円前後で買えます。