人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(5)

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 D.H.ロレンスは小説家としても時代を築いた人でしたが詩人・エッセイスト、そして批評家としてはそれ以上の業績を残した文人かもしれません。瑞々しい感受性は小説よりも詩やエッセイに凝縮され、また小説を強靭なものにしている批評意識は批評そのものにいっそう鋭利に発揮されます。ロレンスの批評の見過ごされ方はオスカー・ワイルドの批評の見過ごされ方に似ています。それはさておき―

 ロレンスの文明論の代表作が『アポカリプス』なら、文芸批評の代表作は『アメリカ古典文学論』が質量ともに最大でしょう。ロレンス自身は現代ではトマス・ハーディの後継者でジョン・ファウルズへバトンを渡したという文学史的位置づけができます。ハーディはイギリス文学にあっては特異な人で、資質はロシアの小説家たちに近い作家でした。それがハーディをフランス発自然主義から隔てています。アメリカでは遅れてシオドア・ドライサーという小説家が現れました。ハーディ―ロレンスという継承関係をアメリカ文学に探せばドライサー―フォークナーが対応する作家として浮かびます。しかしロレンスが論じたのはこれらの作家ではありません。フランクリンからクーパー、ポーやホーソーンメルヴィルを通り、ホイットマンに至る19世紀中葉までのアメリカ文学です。

 ロレンスはアメリカ人の国民性は嫌いました。ですがアメリカ文学には惹かれていた。文学の先進国であるフランスよりもむしろロシア文学との共通性をアメリカ文学に見ました。英語圏の文学ではあるが、明らかにイギリス文学の伝統からは出自が異なる。唯一マーク・トウェインの取りこぼしを除けば、ロレンスのアメリカ古典文学論は、今日ではそれ自体が古典として19世紀中葉までのアメリカ文学史の決定版となりました。トウェインは20世紀初頭まで健在でしたから古典には早い、と目されたのかもしれません。

 アメリカ文学について書くのは「ミメーシス」からは大きな脱線になります。同書にはアメリカ文学の項目はありません。著者がアメリカ文学を知らなかったためではないでしょう。ユダヤ系だったためナチ政権下のドイツから亡命した著者は、晩年10年間はアメリカに在住していました。
 「ミメーシス」の定義するヨーロッパ文学の伝統と表現史には、アメリカ文学は属さないということです。次回もそこから始めたいと思います。