人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(8)

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ヨーロッパ文学史『ミメーシス』は全20章のうち18章でようやく小説の時代に入りました。具体的にはスタンダールバルザックフローベールです。19章はゴンクール兄弟とゾラが検証され、最終章はヴァージニア・ウルフを主に論じながらプルーストジョイスに触れ、ミメーシス(表象、模倣)としての文学の現在に正統的な発達を認めて締めくくられます。

文芸思潮は意識するとせざると必ず先に立つ文芸思潮への反動として興る。反動のかたちは保守主義的なものであれ、革新主義的なものであれ、先行世代の主導的思潮が提示した問題の超克を目的とする。
『ミメーシス』の底流に流れているのはそのような、正統すぎるほど正統的な古典主義的歴史観です。スタンダールバルザックフローベールゴンクール、ゾラと並ぶフランス小説はロマン主義の崩壊とリアリズムの勃興・確立、リアリズムの徹底化による自然主義小説の発生という道筋を歴史的必然の中に位置づけた意図によります。『ミメーシス』の著者にとって、文学表現史が小説を中心に変化した19世紀とはそういう時代でした。ではこの説はどれだけ普遍性があるでしょうか。

まず日本ですが、19世紀の代表的な日本の小説は『東海道中膝栗毛』『南総里見八犬伝』『偽紫田舎源氏』『春色梅児誉美』『怪談牡丹灯籠』『浮雲』『天うつ浪』『三人妻』『思い出の記』に、短編ですが落せないもので『舞姫』『たけくらべ』『武蔵野』と『高野聖』。これらが『ミメーシス』の主張するような文学史的発展過程を示しているとは考えられません。しかし日本文学の流れの中ではこれらは連続性を持っている。中国文学と世俗の口承文芸の均衡から、西洋文学の導入による変化を示しているのがわかる。

これはアメリカ19世紀小説にも言え、クーパーとポーからホーソーンメルヴィル、南北統一後のジェイムズやトウェイン、そして世紀末の最後の10年には自然主義小説が現れる。『モヒカン族の最後』『アッシャー家の崩壊』、『緋文字』『白鯨』、『ある貴婦人の肖像』『ハックルベリー・フィンの冒険』、『街の女マギー』『マクティーグ』『シスター・キャリー』と並べると、やはり『ミメーシス』の図式では解けません。しかしアメリカ小説に固有のテーマがどの作品でも追求されているのは、これらを読めば判ります。