人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

頭の中の映画7/フェリーニ、アントニオーニ

イメージ 1

イメージ 2

今回もミケランジェロ・アントニオーニ(1912~2009)もフェデリコ・フェリーニ(1920~1993)の代表作を取り上げ、同時期の同傾向の作品とされることが多い両者をともに検討したいと思いますが、奇しくもアントニオーニ『さすらい』への回答とも言えるフェリーニ甘い生活』と、『さすらい』からさらに大胆な映画文法の解体を実行したアントニオーニ『情事』はともに1960年2月、6月に公開されました。彼らにとって最大の野心作であり、決定的な代表作と言えます。両作が同傾向の作品として見られるのは、題材として当時のイタリアの文化的退廃・倫理観の低下を描いているからです。

甘い生活』を簡単に紹介すれば、文学青年くずれのスキャンダル新聞記者マルチェロの乱れきった公私生活をオムニバス風に描いたものです。大富豪の娘と情事を持って帰宅すると内縁の妻が自殺未遂。彼女を入院させてハリウッドのセクシー女優の取材に行くと妙に気に入られてローマの名所案内をさせられる。マルチェロは年長の友人で文学の師でもあるスタイナー家を訪問し、清貧で高潔なスタイナーの生き方に反省する。だが相変わらず人気モデルのニコ(後に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのゲスト歌手になる)主催の降霊術パーティで本当に霊が現れて大騒ぎになるやら、セクシー女優に振り回されているうちに、突然スタイナー家の一家心中の報を受けて最後の心の拠りどころすら脆いものだった、と知る。そして夜通し続いた乱痴気パーティの後で疲れ切り浜辺を歩くと、エイらしき大魚の死骸が砂浜に打ち上げられているのを見る。その時海岸の向こうから白いワンピースの清純な少女が呼びかけているのに気づくが、その声は波音に消されて聞こえない―
それが三時間に及ぶこの大作の概略です。

浜辺に上がった大魚の死骸を詠んだ詩は先に小野十三郎にあり、後に西東三鬼の俳句があります。このオムニバス形式の長尺な映画は綿密な計算の上で構成されており、主人公の疲労と倦怠を観客に伝えるためにはこれだけの規模が必要でした。巨大なキリスト像がヘリコプターに吊され空をよぎる場面があります。当然そのショットのためだけにキリスト像が作られ、吊されたのです。凝った大魚の死骸もそうです。人間を蝕む力への恐怖を描いて『甘い生活』は十分な達成を示した名作となりました。