人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アメリカ喜劇映画の起源(10)チャップリン3

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 1914年(25歳)の映画デビューから1917年(28歳)までに62本の短編と一本の長編に出演、そのうち1915年以降の短編26本ではキャスティングからタイトル、オリジナル脚本まで完全な決定権を手中にしたのですから、20代後半のチャップリンの勢いは映画史上でも稀に見るもので、二世ではない純粋なイギリス芸人のアメリカ進出の成功としては後のビートルズのみが匹敵するかもしれません。

 ただしチャップリンは1910年(21歳)の初渡米から1913年(24歳)までは毎年のアメリカ公演で慎重に芸に磨きをかけており、ビートルズの場合のブライアン・エプスタイン(マネージャー)やジョージ・マーティン(プロデューサー)に相当する存在はキーストン社主宰のマック・セネットでしたが、キーストン社すらデビュー年だけの契約で踏み越えていきます。ロイドやキートンにもその能力はありましたが、これほど強い自己プロデュースの意志を貫いてはいない。マルクス兄弟はもっと芸人意識が徹底していたので映画制作自体は所属会社の方針に委ねていました。ロイドやキートンも自分の信頼するスタッフでプロダクションを組み、個性的でこそあれ制作姿勢は民主的でしたが、チャップリンはとにかく独裁的な制作環境に邁進して行ったのです。

 ロイドやキートンアメリカ人であり、制作方針についてアメリカ人スタッフを信頼することができた。それに対してチャップリンは自分の笑いのセンスはアメリカ人からは出てこないと考えたとも見えます。
 また、ロイドとキートンにはなくチャップリンマルクス兄弟にはあるものに、飢餓や貧困への恐怖を笑いに転換する発想があり、少年時代から旅芸人の生活が背景にあったのが共通点になりますが、キートンは芸人一家に育ったのに飢餓や貧困への恐怖はない。その代わりキートンには尋常な価値観に対する徹底的な違和感が、不条理の域に達するほどにありました。

 ただしキートンの不条理が被害者としての感覚なのに較べてマルクス兄弟の新しさは加害者の視点による不条理で、ロイドもキートンも善人の受難という点ではチャップリンを踏襲しているのです。
チャップリン解説からはやや外れましたが、チャップリンは20代後半の短編作品群だけで、アンチテーゼを含めて後の喜劇映画全体の指標を示したと、改めて強調したいと思います。