人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2004年9月11日

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これはプリクラで撮った画像をサービス判の写真に引き伸ばしたもので、ちょうど10年前の日付がついにやってきたわけだ。妻子とは2007年の5月に離縁が請求されて決定しているから、この頃が蜜月時代の終わり近くだったのだろう。
このプリクラ写真は別居期間中にも放浪生活中にも、獄中期間にもずっと財布のカード・ポケットに入っていたから、独りきりの生活が始まった時からは唯一、家庭生活を思い出すよすがとなった。写真屋でサービス判に焼き増しして、額に入れて飾っておいて良かった。病状が悪化して混迷状態になった時、元のプリクラは財布ごと無くしてしまったからだ。

2014年9月1日は長女の16歳の誕生日だった。離婚以来一度も会ったことも話したこともないと、誕生日プレゼントは現金でおこづかいを贈るくらいしかない。次女はこの春で中学生になった。次女とは電話でこれまでに合計20分くらい話したことがある。長女が吹奏楽部でフルートを吹いているのも次女から聞いたので、プレゼントにはフルートもののジャズのCDも添えるようにしている。

別れた妻はバンド関係で知り合いの女性が一緒にうちのバンドのクラブ出演を見に来てくれて紹介され、彼女の第一声は「ジャズって滅茶苦茶にやってるようにしか聞こえないわ!」という、身も蓋もないものだった。長女は次女が生まれた頃からバンドの練習に連れて行ったりしたせいか、家でCDをかけたりしていると「パパたちもやってる、お歌のない音楽、面白いねえ~」とイケたみたいだ。長女のお気に入りはエリック・ドルフィーの『ファイヤー・ワルツ』だった。
ドルフィーはアルトサックス、バスクラリネットとフルートのマルチ・プレイヤーだが、長女は父親の下手なアルト演奏、クラリネット演奏、フルート演奏を聴いて育ったのが楽器のチョイスに少しは影響しただろうか。少なくとも今頃は父親よりフルートが上手いと思うと悔しい気がする。

二週間前の週末、なんだか憂鬱な気分になって、それは離婚して三年間くらい週末ごとに襲ってくる憂鬱に似ていた。もう娘たちはおれとは他人なんだ、と身を裂かれるようだったが、あの頃ほどではないにしても辛い気分だった。ちょうど携帯電話が不調で、現在交際している女性との長電話もできなかった。どちらかと言えばそちらの方が直接の原因かもしれない。
長女に送ったおこづかいには、この写真の焼き増しに裏書きしてバースデイ・カードにしておいた。誕生日おめでとう。この写真からもう10年経ちますね、いつまでも仲良く元気でいてください。
受け取りの返信がないのはいつものことだが、この春には次女は小学校、長女は中学校を卒業している。進学祝いも贈ったが、その報せもない。これかもしれない。電話することにした。

別れた妻が出た。彼女と電話で話すのも五年ぶりくらいになる。娘たちの声が聞きたかったが、取り次いでくれるようなら離婚ももっと円満だったろう。
プレゼントは届いた。娘たちは元気。次女は学区内の公立中学校、長女は某高校に進学した、と、それだけ教えてもらって、その程度が限度だった。後で調べると、最近共学になった元々女子校の私立高校で、吹奏楽部の実力校だそうだ。

そうか、いつも娘たちをありがとう、と最後にあいさつで締める時に、ついしくじってしまった。それじゃ娘たちによろしく、までは良かったが、○○さんもお元気で、と別れた妻の名前がすんなり思い出せず、K..さん…(今の恋人)いゃY..さん…(昔の彼女)と二回も別の女性の名前を半分までムニャムニャ発音し、ようやく別れた妻の名前を思い出してお元気で、と電話を切った。
この話は主治医にも訪問看護師にも爆笑された。まあ普通に考えればひどい男だが、離婚した妻の名前など五年前に口にしたきりではとっさに出てこないのも仕方ないではないか。