人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

赤と緑のパスタ

 ピンク・フロイドに「黒と緑のかかし」という曲があるがタイトルの由来は全然関係ない。あと2週間で52歳になる(どうでもいいが7月5日だ、なぜか毎年)初老の男の記憶では、子供の頃にパスタなどという麺料理はなかった。それはスパゲッティといって、刻んだハムとピーマンとタマネギを具に炒めてトマトケチャップで味つけしてあったものだ。今でもいかにも昔風の喫茶店では「スパゲッティ」はミートソースとナポリタンの2種類しかなくて、そのナポリタンに当たるものがそれになる。実はこれはスパゲッティ麺の日本への上陸間もなく横浜のホテルのレストランで発明された日本独自の調理法だそうで、もっともカレー同様にパスタ料理に決まり事はないからスパゲッティ麺を使ってそれなりの料理になれば日本式調理法でもスパゲッティには違いなくなる。
(まいたけとモッツァレラチーズのぶつ切りトマトクリーム和え)

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 パスタという呼び名が一般的になったのは1980年代だったと思う。当時10代後半~20代前半で学生時代にも重なっているから外食の機会も多く、実家を出た頃というと家庭料理では食べたことのないものを食べてみたいものだ。この頃にはパスタ専門店の看板を掲げた店が雨後のタケノコのごとく増殖していた。毎年毎年節操もなくお好み焼き屋が流行ったり、タイ料理やヴェトナム料理が流行ったり、モツ鍋屋が流行ったり、カレー屋が流行ったりと雑誌やテレビが食事スポットの流行を煽っては移り変わる中で(カフェバーなんていう思えば恥ずかしいものもあった)、スパゲッティ、じゃなくてパスタ屋は全盛期に広がった後は安定した規模に縮小・継続しているように思える。インドカレー店よりも多いのではないか。カレー店に入るのはカレーが目的だがパスタ店はカフェを兼ねる面があるし(麺だけに。こんな駄洒落など10年に1度も叩かないからご容赦いただきたい)、それに日本人はやはり海軍由来のシチュー仕立てのカレーが好きだろう。だから結局普通の和風カレーの店が残っている。だがスパゲッティ(パスタ)というと、ナポリタンかミートソースしか選択肢のなかった時代は月に1回食べれば飽きるが、毎回違ったソースで和えてあるとまたパスタかという食べ飽きがしない。それに女子供が好むから独身時代のデートでも子育て中の外食でも実に無難で便利だった。
(小エビの生クリームソース和えバジルとオリーヴオイル仕立て)

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 今は外食など年に数回もせず、スパゲッティもいわゆるナポリタンを自分で作るか、ナポリタンと同じ作り方だがサラダ油ではなくマーガリンで炒めて塩・こしょうで味を整えレモン汁で風味をつけるとナポリタンよりあっさりしたスパゲッティになる。薄切りキュウリと細切りハムを具にしてマヨネーズ和えのスパゲッティ・サラダにする。ツナの缶詰から適量をほぐして、これは和風の青じそドレッシングでもフレンチドレッシングでも合う(中華ごまドレッシングとサウザンドドレッシングは微妙)。自分で調理するのが面倒な時は出来あいの缶詰やレトルトのソースを使う。もちろんたいがいのものがおいしい。安い無名メーカーのものなどは値段に見合って水っぽく味わいが者足らず、価格と品質が割とまともに比例しているように思う。誕生日を迎える2週間後までに、予定では4食スパゲッティの食事をすることになっている(毎月ほぼ毎日の献立を立てているのだ)。スパゲッティについても、家族や誰かと卓を囲んで食べた回数より、ひとりきりで食べた回数の方がよっぽど多くなっている。