人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(a)

 明治の生んだ伝説的詩集『孔雀船』は明治39年(1906年)5月5日刊、四号の大活字で組まれた初版本は本文188ページ、昭和13年(1938年)に岩波文庫で復刻された際には(間に昭和4年=1929年の復刊がある)序文・解説・目次込みで本文110ページ、収録詩編全18編の小冊子にすぎません。それが伊良子清白(鳥取県生まれ・本名暉造、1877-1946)の第1詩集であり生涯唯一の単行詩集で、清白の作品発表は学生時代の明治27年(17歳)から始まりますが、詩集収録詩編は明治33年(1900年、23歳)以降の作品から選ばれています。第1詩集編纂の明治39年時点では約160編の完成詩編があったそうですが、浩瀚な詩集の多かった当時、清白はあえて厳選した18編を第1詩集としました。うち傑作と名高い作品は前年の明治38年に集中しています。清白は医業を本職としており、詩集発行当時は生命保険会社の嘱託医でした。詩集の刊行打ち合わせの際に装幀画家に保険の勧誘をして激怒され、さらに詩人仲間からの無理解と保険医の生業が軽蔑を買ったことから幻滅し、職務の移転と重なって東京を去り、詩の発表も止めて浜田、大分、台湾、京都を転々とし、大正11年(1922年)三重県志摩郡鳥羽町小浜(現・小浜町)で開業医となったのです。そのまま清白は忘れられた詩人になるところでした。
 昭和4年(1929年)に『孔雀船』は日夏耿之介の熱烈な賛辞を連ねた序文つきで再刊、日夏は同年刊の『明治大正詩史』でも薄田泣菫蒲原有明と並ぶ最高の明治詩集、世界に誇る浪漫派芸術と『孔雀船』を激賞して1章を割き、そうした再評価の気運から清白は同年の新潮社『現代詩人全集』にも河井醉茗、横瀬夜雨との「文庫」派3人集として121編の新詩集が編まれました。昭和13年には『孔雀船』が日本の現代詩集としては異例の岩波文庫からの完全復刻版が刊行されます。しかし『孔雀船』以来の単行詩集は将来編まれませんでした。
 以後も清白は詩壇から離れて短歌、詩作を続けていましたが、昭和20年(1945年)に戦火を避けて三重県度会郡七保村打見(現・度会郡大紀町打見)に疎開、翌1946年(昭和21年)に同地で深夜の往診中に送迎の自転車から転落して脳溢血により急逝しました。享年68歳。
 伊良子清白(『孔雀船』刊行の頃)

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 この『孔雀船』の完成度は与謝野鉄幹『東西南北』(明治29年)、島崎藤村若菜集』(明治30年)に始まる新体詩完成期の明治後半期詩集の到達点として土井晩翠天地有情』(明治32年)、薄田菫泣『二十五弦』(明治38年)、蒲原有明『春鳥集』(明治38年)、河井醉茗『塔影』(明治38年)、上田敏訳詞集『海潮音』(明治38年)、横瀬夜雨『花守』(明治38年)、薄田菫泣『白羊宮』(明治39年)、横瀬夜雨『二十八宿』(明治40年)、森鴎外『うた日記』(明治40年)、蒲原有明有明集』(明治41年)、岩野泡鳴『闇の盃盤』(明治41年)に並び、さらに詩人にとって唯一の単行詩集としては抜群の独自性と達成度を示すものでした。日夏耿之介は明治七大詩人たる鴎外、鉄幹、藤村、晩翠、敏、泣菫、有明に次ぐ地位を清白に認めており、確かに上記詩人たちの代表詩集は現代詩の始まりを告げる里程標足り得ていますが(河井醉茗と横瀬夜雨、岩野泡鳴を足してもいいでしょう)、西洋詩の詩法の影響下ではなく、漢文脈・雅文脈にとらわれず、日本語詩としてこの上なく自然な文体と形式に安定しながら普遍的な詩の美しさを実現しているとまで思わせる点で、刊行から110年になる『孔雀船』は今でも読み継がれ、新しい読者を増やしている詩集です。
 魅力については『孔雀船』はその抒情と古典性では『白羊宮』に勝り、密度と現代性で匹敵するのはおそらく『有明集』より他にありませんが、『有明集』の革新性が今日の読者に示唆する感覚の拡大よりも『孔雀船』の柔軟な美意識に率直な訴求力があるでしょう。泣菫、有明は当時第一線の詩人として発表作品ごとに注目を集めていましたが、清白はもともと地味な作風の詩誌「文庫」でも実力はあるが地味、という定評から、『孔雀船』も地味な好評で迎えられただけでした。100年の後に同年代のどれよりも卓越した詩集と認められるとは、詩人自身ですら期待していなかったでしょう。収録詩編全18編、うち100行以上の長編詩が4編ありますが、全5回をかけて全編のご紹介をしたいと思います。底本は日本近代文学館による佐久良書房からの初版復刻版と照合し、岩波文庫版を底本にして梓書房版再刻版序文、岩波文庫版序文と献辞を冒頭に置きました。今回は詩集冒頭の5編『漂泊』『淡路にて』『秋和の里』『旅行く人に』『島』をご紹介します。
(『孔雀船』明治39年1906年5月・佐久良書房/カヴァー装・本体)

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(『孔雀船』昭和13年=1938年4月・岩波文庫/初版・戦後版)

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故郷の山に眠れる母の靈に
*
岩波文庫本のはしに

 阿古屋の珠は年古りて其うるみいよいよ深くその色ますます美(うる)はしといへり。わがうた詞拙く節(ふし)おどろおどろしく、十年(とゝせ)經て光失せ、二十年(はたとせ)すぎて香(にほひ)去り、今はたその姿大方散りぼひたり。昔上田秋成は年頃いたづきける書(ふみ)深き井の底に沈めてかへり見ず、われはそれだに得せず。ことし六十(むそ)あまり二つの老を重ねて白髮かき垂り齒脱けおち見るかげなし。ただ若き日の思出のみぞ花やげる。あはれ、うつろなる此ふみ、いまの世に見給はん人ありやなしや。

ひるの月み空にかゝり
淡々し白き紙片
かみびら

うつろなる影のかなしき
おぼつかなわが古きうた
あらた代の光にけたれ
かげろふのうせなんとする

昭和十三年三月
清白しるす

(『孔雀船』岩波文庫版序文/昭和13年=1938年4月・岩波書店)
*
小序

 この廢墟にはもう祈祷も呪咀もない、感激も怨嗟もない、雰圍氣を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁斷礎の間、奇しくも何等かの發見があるとしたならば、それは固より發見者の創造であつて、廢滅そのものゝ再生ではない。

昭和四年三月
志摩にて

(『孔雀船』再刻版序文/昭和4年=1929年4月・梓書房/転載・岩波文庫)
*
  漂泊  伊良子清白

蓆戸(むしろど)
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ

(なき)母は
處女(をとめ)と成りて
白き額(ぬか)月に現はれ
(なき)父は
童子(わらは)と成りて
(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて煙の小野に
かすかなる笛の音ありて
旅人の胸に觸れたり

故郷(ふるさと)
谷間の歌は
續きつゝ斷えつゝ哀し
大空(おほぞら)の返響(こだま)の音と
地の底のうめきの聲と
交りて調(しらべ)は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)
父は降(くだ)れり
小野の笛(ふえ)(けぶり)の中に
かすかなる節(ふし)は殘れり

旅人は
歌ひ續けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑みて歌ひつゝあり

(初出・明治38年=1905年1月「文庫」)
*
  淡路にて  伊良子清白

古翁(ふるおきな)しま國の
野にまじり覆盆子(いちご)摘み
(かど)に來て生鈴(いくすゞ)
百層(もゝさか)を驕りよぶ

白晶(はくしやう)の皿をうけ
(あざら)けき乳(ち)を灑(そゝ)
六月の飮食(おんじき)
けたゝまし虹走る

清涼(せいろう)の里いでゝ
松に行き松に去る
大海(おほうみ)のすなどりは
ちぎれたり繪卷物(ゑまきもの)

鳴門(なると)の子海の幸
(な)の腹を胸肉(むなじゝ)
おしあてゝ見よ十人(とたり)
同音(どうおん)にのぼり來る

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」)
*
  秋和の里  伊良子清白

月に沈める白菊の
秋冷(すさ)まじき影を見て
千曲少女(をとめ)のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる

佐久(さく)の平(たひら)の片ほとり
あきわの里に霜やおく
酒うる家のさゞめきに
まじる夕(ゆふべ)
の鴈(かり)の聲

蓼科山(たでしなやま)の彼方にぞ
年經るをろち棲むといへ
月はろ/″\とうかびいで
八谷の奧も照らすかな

旅路はるけくさまよへば
破れし衣(ころも)の寒けきに
こよひ朗(ほが)らのそらにして
いとゞし心痛むかな

(初出・明治35年=1902年12月「文庫」)
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  旅行く人に  伊良子清白

雨の渡(わたし)
   順禮(じゆんれい)
姿寂しき
   夕間暮(ゆふまぐれ)

霧の山路(やまぢ)
   駕舁(かごかき)
かけ聲高き
   朝朗(あさぼらけ)

旅は興ある
   頭陀袋(づだぶくろ)
重きを土産(つど)
   歸れ君

惡魔木暗(こぐれ)
   ひそみつゝ
人の財(たから)
   ねらふとも

天女泉に
   下り立ちて
小瓶(をがめ)洗ふも
   目に入らむ

山蛭(やまびる)膚に
   吸ひ入らば
谷に藥水(やくすゐ)
   溢るべく

船醉(ふなゑひ)海に
   苦しむも
龍神(むね)
   醫(いや)すべし

鳥の尸(かばね)
   火は燃えて
山に地獄の
   吹嘘(いぶく)

(うしほ)に異香(いかう)
   薫ずれば
海に微妙(みめう)
   蜃氣樓(かひやぐら)

暮れて驛(うまや)
   町に入り
旅籠(はたご)の門を
   くゞる時

(よね)の玄(くろ)きに
   驚きて
里に都を
   説く勿(なか)

女房(にようぼ)語部(かたりべ)
   背(せな)すりて
村の歴史を
   講ずべく

(あるじ)膳夫(かしはで)
   雉子(きじ)を獲て
旨き羮(あつもの)
   とゝのへむ

芭蕉(ばせを)の草鞋(わらじ)
   ふみしめて
圓位(ゑんゐ)の笠を
   頂けば

風俗(ふうぞく)(きみ)
   鹿島立(かしまだち)

(おきな)さびたる
   可笑(をか)しさよ

(初出・明治36年1903年3月「文庫」)
*
  島  伊良子清白

黒潮の流れて奔(はし)
沖中(おきなか)に漂ふ島は

眠りたる巨人ならずや
(かしら)のみ波に出(いだ)して

峨々(がゞ)として岩重れば
目や鼻や顏何(な)ぞ奇なる

裸々として樹を被(かうぶ)らず
(そび)えたる頂高し

鳥啼くも魚群れ飛ぶも
雨降るも日の出(いで)(い)るも

青空も大海原も
春と夏秋と冬とも

眠りたる巨人は知らず
幾千年(いくちとせ)
(ぐわん)たり鍔(がく)たり

(初出・明治34年=1901年9月「文庫」)